黄海・ナンプ湿地保全プロジェクトが完了!
2022/11/18
- この記事のポイント
- 毎年春に10万羽近い水鳥が飛来する、中国・河北省唐山市灤南(ランナン)県にある南堡(ナンプ)湿地。中国、韓国、北朝鮮に囲まれた黄海および渤海の沿岸湿地の中でも、渡り鳥の重要な渡来地の一つです。WWFは2017年より、このナンプ湿地の保全に向けた活動を開始。5年以上にわたる取り組みの結果、省級(河北省立)湿地公園の設置をはじめ、ナンプ湿地と渡り鳥の保全にとって大きな成果を達成することができました。
危機にさらされる渡り鳥の楽園
河口や海岸付近に形成される干潟では、河川からの栄養塩や有機物、潮の満ち引きによってもたらされるプランクトンによって、豊かな生態系がつくられています。
多くの生きものの命を育む干潟において、シギやチドリといった渡り鳥は、食物連鎖の上位に位置し、生態系の健全性を示す指標になっています。
しかし、地球上に大きく3つある渡り鳥の移動ルート(フライウェイ)のうち、日本などが属する「東アジア・オーストラリア地域フライウェイ」では、沿岸域の干潟の消失や水鳥の個体群の減少が危惧されてきました。
特に、中国、韓国、北朝鮮に囲まれた黄海および渤海の沿岸域は、東アジアを代表する干潟が多く残る地域の一つですが、1950年代からの50年間で65%もの干潟が失われてしまったのです。
黄海および渤海の沿岸域の中でも、中国・河北省唐山市灤南(ランナン)県にある南堡(ナンプ)湿地は、これまで21目59科299種もの鳥類が確認され、毎年春には10万羽近い水鳥が飛来するなど、まさに渡り鳥の楽園となっています。
しかしこのナンプ湿地も、周辺で急速な開発や都市化が進行し、消失の危機にさらされてきました。
そこでWWFジャパンは2017年より、WWF中国やWWF香港とともに、生物多様性の観点からも重要なこの場所で、ナンプ湿地保全プロジェクトを開始しました。
ナンプ湿地における湿地公園の設置
関係者との協力体制の構築
WWFはまず、ランナン県政府とナンプ湿地での自然保護区の設置に関する交渉を開始。
交渉の末2017年6月に、WWF、河北省林業局、ランナン県政府、ポールソン研究所(Paulson Institute)の4者で、ナンプ湿地での自然保護区の設置に向けた覚書を締結することに成功しました。
また、北京師範大学とも覚書を交わし、自然保護区の設置を進めるうえで必要となる、鳥類などの調査を実施。
基礎調査では、サルハマシギ、コオバシギ、コビズキンカモメをはじめ非常に多くの水鳥が飛来していることが示されました。
特にサルハマシギは、北京師範大学が独自に調査を始めた2006年から2017年までの間で最も多かった年の春に約6万2,000羽を記録。
これは、東アジア・オーストラリア地域フライウェイにおける推定個体数の約69%、また世界の推定個体数の約5-6%に相当し、ナンプ湿地が国際的にも保全価値の高い湿地であることが分かります。
困難を乗り越えての湿地公園の設置
覚書の締結以降、基礎調査の結果も踏まえ、関係者と自然保護区の設置に向けた話し合いが進んでいましたが、2018年の中央・地方政府の大幅な組織再編とランナン県の首長の交代により状況が一変。
あらためてランナン県政府を含む関係者と自然保護区の設置に関する合意を得ることが必要になりました。
しかし、自然保護区の設置により地域住民の湿地の利用が制限されることについて、ランナン県政府からの懸念が示され、議論は大きく難航。
また、同時期に行なった社会経済調査から、ナンプ湿地での漁業・養殖業や製塩業が地域住民の重要な収入源となっていることも分かり、これらの生業との共存を検討する必要が出てきました。
そこで、適切な保全・管理のもとで湿地の利用が許可される、湿地公園に計画を変更し、まずはその設置に向けて協力していくことで関係者と合意を交わすことができたのです。
ところがその後、石油関連企業によるナンプ湿地での採掘権の主張、さらには新型コロナウイルスの世界的な大流行により、湿地公園の設置の見通しが立たないという状況に陥ってしまいました。
こうした困難な状況の中、ポールソン研究所や専門家を含む関係者と連携し、政府への継続した設置に関する働きかけを行ないました。
粘り強い働きかけが功を奏し、中国で新型コロナウイルスが一時落ち着いてきた2020年夏、政府関係者を含む有識者会議において、省級(河北省立)の湿地公園の設置が合意されました。
そして、2020年10月26日ついに、ナンプ湿地の57.9160km2にあたる場所が、省級(河北省立)湿地公園として、河北省林業草原局によって承認。
湿地公園は、地域住民による湿地の利用にも配慮しながら、4つの区域にゾーニングされ、保全と利用の両立が進められることになりました。
湿地公園の管理計画の策定
ナンプ湿地や飛来する渡り鳥の保全にとって、湿地公園の設置に至ったことは大きな一歩ですが、湿地公園が適切に管理されることも重要です。
そのため、WWF中国は湿地公園の管理計画の策定に向けた研修を2021年6月に行ないました。
実効性のある管理計画をつくるためには、多様な関係者の参加が欠かせません。
会議に先立ち多くの関係者に参加の働きかけを行なった結果、河北省、唐山市、ランナン県の政府関係者に加え、地域住民や専門家など、計44名の多様な関係者の参加を得ることができました。
研修では、湿地公園の生態的な特徴や渡り鳥の休息や採食とって特に重要な場所について専門家による講義を実施。
講義に引き続き、参加者が共同で、管理計画に必要な管理の目的、そのための活動や指標、管理にかかわる関係者について話し合いを行ないました。
研修での話し合いの結果をもとに、WWFの協力のもと、ランナン県政府と専門家により管理計画が最終化。
多様な関係者の意見が取り入れられた、実効性のある管理計画の策定に成功しました。
加えて、管理計画にもとづき効果的な保全管理を行なうためのデータを収集し、状況に応じた適切な管理措置を講じることができるよう、モニタリング計画についても策定。
6つの要素(渡り鳥の個体数、水質、渡り鳥の食料となる生物種、侵略的外来植物のヒガタアシ、渡り鳥の繁殖、水位)を対象に、それぞれの目的に応じてモニタリングが進められます。
ナンプ湿地の自然環境の回復
ナンプ湿地では、周辺での開発に加え、侵略的な外来種のイネ科植物であるヒガタアシ(Spartina alterniflora)が脅威となっていました。
ヒガタアシの繁茂により自然環境が変化し、渡り鳥の休息や採食適地が減少し、ナンプ湿地を利用する渡り鳥への深刻な影響が懸念されていたのです。
そこでWWFは、復旦大学と協力し、2018年7月から9月にかけてヒガタアシの駆除を行ないました。
駆除作業にあたっては、復旦大学との話し合いをもとに、過去の他地域での利用事例からも、湿地生態系への安全性が確認されている除草剤を使用。
対象としていた湿地公園計画地において大部分のヒガタアシの駆除に成功しましたが、2019年春にモニタリングを行なったところ、いくつかの場所で再定着がみられました。
駆除されずに残っていた個体から広がっていった可能性や、周辺地域から種子が飛散してきた可能性が考えられました。
そのため、2019年6月から7月にかけて再び駆除作業を実施。
その結果、湿地公園計画地に繁茂していたヒガタアシを完全に駆除し、渡り鳥の休息や採食に適した自然環境を再生することに成功しました。
駆除後、2020年7月と2021年6月にモニタリングを行ないましたが、再定着はみられていません。
しかし今後継続的に、モニタリング計画にもとづき状況を観察していく必要があります。
湿地公園のワイズユースに向けて
ナンプ湿地の重要性に関する理解の促進
適切な管理やモニタリングに加え、湿地を適正に利用していくワイズユース(賢明な利用)を進めていくことも、ナンプ湿地の保全にとって欠かせません。
そのためには、ナンプ湿地を利用する地域住民を中心に、その重要性に関する理解を深め、保全に対する意識を高めていくことが不可欠です。
そこで、専門家に依頼し調査を行ない、ナンプ湿地の特徴や生産活動と渡り鳥との関係性をまとめました。
調査では、ナンプ湿地で行われている生産活動の中でも製塩について、塩田と渡り鳥の関係性が強いことが示されました。
特に、コオバシギ、サルハマシギ、トウネン、オグロシギ、オバシギ(EN:絶滅危惧種)、ダイシャクシギ、コビズキンカモメ(VU:危急種)、カラフトアオアシシギ(EN:絶滅危惧種)の8種にとって、塩田が重要な生息地となっていることが確認されました。
この結果をもとに、湿地公園やその重要性について解説する案内板についてランナン県政府と話し合いを行ない、専門家の協力のもと、20個の案内版を設計しました。
これらの案内版が湿地公園に設置されることで、地域住民や観光に訪れる人々のワイズユースが促進されることが期待されます。
1段目左より、湿地公園の概要、潮間帯、塩田、渡りの時期
2段目左より、繁殖の時期、冬季の状況、製塩、エビ養殖
3段目左より、渡り鳥や養殖エビの食糧となる甲殻類(アルテミア)、侵略的外来植物(ヒガタアシ)、コオバシギ、サルハマシギ。
4段目左より、セイタカシギ、ソリハシセイタカシギ、オグロシギ、コビズキンカモメ
5段目左より、湿地の持続可能な利用、底生生物、渡り鳥の採食行動、バードウォッチングに関するガイダンス
湿地の優良な利用の促進
渡り鳥の重要な生息地にもなっているナンプ湿地の塩田では、製塩だけでなく、エビ養殖が行なわれています。
現状の塩田は渡り鳥にとって良好な状態ですが、専門家との話し合いを通じて、自然環境、労働者や地域社会に配慮した国際的な養殖業の認証「ASC(水産養殖管理協議会)認証」の基準にもとづいた改善により、その環境を向上させられる可能性が示されました。
そのため、エビ養殖の改善を検討するにあたり、塩田の環境に関する調査を専門家と協力して実施。
特に蒸発池(海水を蒸発させるための池)と海水貯水池について、次の点から渡り鳥の休息、採食、繁殖にとって重要な場所であり、これらの点への配慮がエビ養殖においても推奨されることが示されました。
- 池が広い(蒸発池は0.02~0.1km2、海水貯水池は0.05~0.15 km2)
- 樹木等の障害物がなく見通しがきく
- 池の周りの土手が休息と採食に適している
- 蒸発池の水位の低い場所が採食と繁殖に適している
- ユスリカの幼虫やアルテミアなどの食料となる生物が豊富にある
また、エビ養殖の改善を進めていくうえでは、生産者の改善に対する理解と意欲の向上が欠かせません。
そこで、中国のスーパーマーケットとオンラインショップで、塩田で生産されたエビの市場価値に関する調査を専門家と協力して行ないました。
調査では、ASC認証を含む自然環境に配慮したエビ製品の需要があり、認証を取得した製品が未取得の製品に比べ高価格で販売されていることを確認。
生産者がASC認証の取得に向けて改善に取り組む動機づけになり得る結果が得られました。
これらの塩田の環境に関する調査とエビの市場価値に関する調査の結果をもとに、関係者の間でエビ養殖の改善に向けた具体的な話し合いが進められる予定です。
プロジェクトを通じた成果と教訓
2017年のプロジェクト開始から5年以上にわたる取り組みを通じて、省級(河北省立)湿地公園の設置や管理・モニタリング計画の策定をはじめ、意義ある成果を達成することができました。
これらは、渡り鳥の休息や採食の場所として重要であるにもかかわらず、開発拡大の危機にさらされていたナンプ湿地の保全にとって、非常に大きな一歩です。
プロジェクトを進めるうえでは、政府の大幅な組織再編やランナン県政府の首長の交代、また新型コロナウイルスの世界的な大流行をはじめ、さまざまな困難がありました。
また、中国の地方都市では、経済発展が優先事項となっていることが多く、地方政府への湿地と渡り鳥の保全に関する理解の促進や働きかけは容易ではありませんでした。
そうした中でも、専門家を含む関係者と連携し政府側と話し合いを重ねたことや、政府側の意見も尊重し保全と利用の両立を目指すかたちで取り組みを進めたことが、湿地公園の設置をはじめとした成果につながりました。
取り組みを通じて得られたこうした教訓は、黄海および渤海沿岸域を含む中国の特に地方都市において、湿地と渡り鳥の保全を推し進めるうえで有用であり、ナンプ湿地保全プロジェクトは重要な事例となりました。
5年以上にわたりプロジェクトを実施し達成することができた成果は、WWFサポーターの皆さまの応援により実現することができたものです。サポーターの皆さまに、心より感謝申し上げます。
引き続き、海を守る活動をはじめ、WWFの活動を応援いただけば幸いです。