水田の生物多様性の保全と減災を両立する共同研究について
2021/01/07
水田の生物多様性保全と減災の両立を目指して
数多くの水生生物が息づく、九州は有明海沿岸の水田地帯。
ここは、豊かな農地であると同時に、「日本の宝」とも呼ばれるほど多様性に富んだ、貴重な淡水生態系が広がる地域です。
多様性のカギとなっているのは、流れの緩急に富んだ、大小無数のクリーク網(水路網)。
この環境が、アリアケスジシマドジョウやカワバタモロコなどの淡水魚類、マツカサガイなどの貝類、エサキアメンボなどの水生昆虫類、ヒシモドキなどの水草類をはじめ、国際的にも希少な野生生物を、数多く育んでいます。
WWFでは2016年から、地域や学術機関との協力のもと、その調査と保全に取り組んできました。
しかし近年、この一帯を含む九州北部は、毎年のように豪雨に見舞われ、水田環境も大きな被害を受けています。
特に2017年(平成29年)7月の九州北部豪雨や、2020年の令和2年7月豪雨などは、甚大な被害をもたらすものとなりました。
このような気候変動(地球温暖化)に伴う異常気象は、今後も激化が予想されているため、地域の暮らしや農業はもとより、希少種や自然保護の観点からも、防災や減災を強化していくことは、極めて重要な課題です。
そこでWWFでは、2020年11月、九州大学および長崎大学と共に、水田生態系の保全と回復を、流域全体を視野に入れた防災と両立する、新たな共同研究を開始しました。
活動概要:減災+生物多様性保全に関する長崎大学および九州大学との共同研究
◆目的:過去の災害復旧事業に学びながら、人と自然とが持続的かつ発展的に共存できるための手法(地域づくり)を確立するための知見を得る
◆フィールド:有明海沿岸の水田地帯(佐賀県、福岡県、熊本県)
◆研究期間:2020年11月~2021年6月(予定)
◆実施体制:
・WWFジャパン 専属スタッフ1名
・林博徳
九州大学大学院工学研究院環境社会部門(流域システム工学研究室)
・鹿野雄一
九州大学持続可能な社会のための決断科学センター
・田中亘
長崎大学大学院工学研究科システム科学部門
・鬼倉徳雄
九州大学大学院生物資源環境科学府附属水産実験所(動物・海洋生物資源学講座アクアフィールド科学研究室)
共同研究の背景
この共同研究では、水田環境を地域の防災や減災に役立てる手法を模索しつつ、同時にそこに息づく野生生物の保全を両立する手段を検証します。
取り組みの在り方によっては、減災の手立てが、希少な魚類の生息場所の確保につながるなど、保全を促進する可能性も期待されます。
これは近年、国際的にも注目されている、「Nature based Solutions」すなわち、自然保護や回復を通して、社会課題を解決しよう、という考え方にも通じる取り組みです。
今回は特に、Nature based Solutionsの中でも、生態系を基盤とした防災・減災(Ecosystem-based disaster risk reduction)に関する最新研究として実施するものです。
生物多様性の維持・回復につながる防災・減災の取り組み
現在、生態系の仕組みや力を防災・減災に役立てる手段が、省庁や多くの研究者などにより、検証・実施され始めています。
水田の保全に関しても、こうした取り組みの知見が広く認識されるようになっています。
生物多様性の保全と防災に共通した対応としては、例えば次のようなものがあります。
コンクリートで固めた直線的な水路や河川の改修
防災面での課題:
流れを妨げる障害物がないため、水流のスピードが上がりすぎてしまい、下流側に一気に多量の水が流れ、水害につながるおそれがある。
生態系保全の課題:
生物が隠れたり、産卵する上で欠かせない、植物や砂泥などの多い自然度の高い場所が一掃されてしまう。流れの早い場所では生きられない生物が、姿を消してしまう。
防災と生態系にプラスになる対応:
コンクリートの代わりに植物や石材など自然素材を使った護岸を行なう。また、水路幅の変化や水路の平面線形を曲げるなどの工夫をして、一度水のスピードが落ちる工夫を施す。
大規模な遊水池の確保
防災面での課題:
豪雨時にあふれた水を引き受ける場所が無いと、流域周辺の地域はもとより、下流の都市部などでも水害が発生する。
生態系保全の課題:
もともと遊水池のような、氾濫原の環境を好む野生生物の生息場所が減少している。
防災と生態系にプラスになる対応:
豪雨時、水田のような場所に水を流し、「遊水池」として機能するよう、あらかじめ導水を設定しておく。市街地での氾濫を防ぐと共に、一時的に冠水したこれらの環境は、「氾濫原」の自然に生きる野生生物の生息地にもなる。
氾濫原の保全に通じた取り組み
特に、水田地帯の生物多様性の維持・回復を考える上で、重要な視点の一つが、「氾濫原」環境の保全です。
氾濫原とは、自然のサイクルの中で水没する場所のこと。
雨の多い季節、一時的に増水した水に浸かるこうした場所を、産卵場所にえらぶ淡水魚は、多く知られています。
そして、水田はもともと、こうした河川の流域に広がる氾濫原に広くつくられてきました。
そして現代においても、水田地帯は、かつての氾濫原にきわめて近い環境構造を保っているため、氾濫原を必要とする野生生物が、今も多く生息しているのです。
実際、各地で進む土地改良事業や、コンクリートを使った水路の整備などは、氾濫原としての機能を水田から奪い、そこに生きる野生生物を絶滅の危機に追いやってきました。
しかし、その中で自然に配慮した工法による整備が施された生息域では、環境の改善と個体数の回復が確認されています。
希少種カワバタモロコの事例
佐賀県の水田地帯に、主要な生息地を持つ淡水魚カワバタモロコは、生物多様性の保全と減災を両立した施策により、保護の効果が認められる希少種です。
現在、九州ではこの魚は自然の河川などにはほぼ見られず、人が作った田んぼの脇の水路に、その生息環境がほぼ限定されています。
そして、こうした水路の改修や開発されてきた結果、絶滅が危惧されるまでに減少しました。
「個体数の回復」
このカワバタモロコの保全に通じる防災施策として、水田地帯で自然素材を使った護岸整備を行なうと同時に、豪雨時は遊水池として冠水させる、という手法が考えられます。
カワバタモロコは産卵や稚魚の育つ場所として、雨の多い季節に水位が上昇して冠水する、水際の土堤や浅い植生帯として利用しますが、これらの環境が開発や整備で失われてきたことが、減少の大きな要因となりました。
しかし、豪雨時に水田環境が遊水池として冠水し、産卵や稚魚の成育に適した浅い水辺が形成されれば、カワバタモロコの「個体数の回復」につながることが期待できます。
「生息域の回復」
また、「生息域の回復」についても、効果があると考えられます。
淡水魚にとって、各地で整備が進む中、自力で分布を拡大するのは、きわめて難しいのが現状。
しかし、水田の広いエリアが遊水池として冠水すれば、一時的に複数の水路が一つにつながり、それを機に、カワバタモロコの個体群が移動し、生息域を広げられる可能性があるためです。
一度、絶滅してしまっているエリアでも、その後、生物多様性に配慮した水路整備が行なわれた場所であれば、個体群が戻ってきた時、再定着できる可能性が高くなります。
これは、人為的な放流などに頼らない回復の手立てであり、「氾濫原」の自然が持っていた機能やサイクルに近い条件の中、淡水魚の持つ本来の生態に合致した形での、分布域の拡大につながる取り組みといえます。
※1(2009,カワバタモロコの農業用水路における異なる成長段階での生息場所利用,鬼倉徳雄・中島淳)
※2(2014,ミトコンドリアDNAから推論されるカワバタモロコの遺伝的集団構造,渡辺勝敏・中島淳ほか)
共同研究における検討内容
上記の事例にも通じた、水田地帯の保全と回復、および流域全体での治水の両立を目指す、今回の共同研究では、九州大学、長崎大学との協力のもと、次の内容の検討を行なってゆきます。
- 治水と生物多様性を両立するための手法の検討
- 九州有明沿岸の主要河川における原始氾濫原の推定及び水田水路を利用した治水方策の検討
また、この共同研究で明らかにした結果は、以下の取り組みに活かしてゆきます。
- 水田地帯において、豪雨被害が頻発化・激甚化する中で、治水と生物多様性保全上の課題とその対策をまとめ、他の国内の水田環境においても大きな効果が期待できる手立てとしてとりまとめる
- 佐賀、福岡、熊本の水田の現場とそれを支援する政策づくりに活かす
- 全国に発信し、交流し、広げる、学びあう
1.治水と生物多様性を両立するための手法の検討
協力:
九州大学大学院工学研究院環境社会部門(流域システム工学研究室)
准教授:林博徳
大学院生:兒玉健佑、山本裕貴
学部生:白木冬馬、外山英志郎
【治水と生物多様性を両立するための手法の検討】
林博徳先生の研究室では、人と自然が共生できる持続的な国土づくりをテーマに、流域の視点に立った治水や河川環境再生、社会的合意形成等について研究を実施してこられました。
この検討では、毎年のように豪雨被害がある中で、大規模な自然災害が、希少な野生生物および生息地に与えた影響を、現場で調査して把握するとともに、自然環境に対して親和性の高いと思われる工法や仕組み(例えば、伝統的な石造りの堰(写真)や水田水路の有する遊水池機能等)の治水機能等を明らかにします。
それにより、人と自然とが持続的に共生していくための知見を蓄積してゆきます。
2.九州有明沿岸の主要河川における原始氾濫原の推定及び水田水路を利用した治水方策の検討
協力:
長崎大学大学院工学研究科システム科学部門(水圏環境研究室)
助教:田中亘
田中亘先生の研究室では、九州北部を中心に、近年の豪雨被災における伝統的治水の効果に関する研究を進めてこられました。この検討では、広域範囲にわたるシミュレーションに基づいた取り組みを行ないます。
【有明海沿岸の水田地帯がもつ原始氾濫原の推定】
日本の各地には、かつて沖積平野の河川周辺に、広大な氾濫原が存在していました。
しかし現在では、ダムや水門、排水機場、連続提などの整備により、かつての氾濫原であった場所(原始氾濫原)で、実際に浸水が生じることは稀になっています。
そこで、過去の大規模豪雨などの降雨に対して、ダムや水門などの施設が存在しない場合の浸水エリアをシミュレートすることにより、原始氾濫原を推定し、地図化(マップ化)します。
こうした本来は氾濫原であった環境には、かつての生物多様性が現在まで残されている可能性があります。
本研究で作成した浸水エリアマップと、九州大学の鬼倉徳雄先生とWWFが作成した生物多様性優先保全マップとを重ね合わせることで、原始氾濫原と生物多様性との関係性について考察します。
【水田水路の治水機能を活用する方策】
日本では、かつての氾濫原の多くが水田に転換され、そこに生息していた生物は、かつての氾濫原環境に極めて近い環境構造をもつ水田地帯で生存し続けています。
しかし近年、有明沿岸では、農業者の負担軽減や営農の効率化のために水路のコンクリート化や圃場整備、宅地への土地利用転換が行なわれ、水田地帯の環境の劣化が進んでいます。
そこで、水田地帯の治水的な効用をテーマに、過去にクリーク網(水路網)の事前排水により洪水に備えた事例や、水田が住宅地に転換された場合の洪水流への影響などを評価し、治水要素としての水田地帯を活用する方策を検討します。