ユキヒョウ保全活動を取り巻くさまざまなあつれき
2024/11/27
- この記事のポイント
- WWFが西ヒマラヤで行なっているユキヒョウ保全プロジェクトは、地域に住む人びとと野生動物の持続可能な共生を目指すものです。2024年10月にフィールドを訪問すると、そこにはユキヒョウと地域住民、野生動物と野犬、そして住民と政府の職員などさまざまなあつれきが存在することがわかりました。 地域女性の能力開花の支援やカメラトラップ調査の解析状況と共にプロジェクトの進捗を報告します。
人・動物の間に生じる、さまざまなあつれき
ユキヒョウ個体数アセスメント
2024年1月、インドの環境・森林・気候変動省は、「Status of Snow Leopard in India – The Snow Leopard Population Assessment in India(インドにおけるユキヒョウの現状-ユキヒョウ個体数アセスメント)」という報告書を公表しました。
この調査には、各州・自治領の関係部署、政府研究機関の他、WWFインドなどのNGOも協力。
2019年に始動した、インド初の全国調査は、5年の歳月をかけて、ユキヒョウの推定個体数を導き出しました。
この調査によって、インドには718頭のユキヒョウの生息が推定されること、北部のラダックにはその7割近くの個体がすむことが示されました。
ユキヒョウと牧畜を営む人びとのあつれき
インド政府の調査により、推定477頭のユキヒョウがすむとされたラダック。多くのユキヒョウが生息するということは、それだけ豊かな自然環境があるということです。
しかし、開発が進む近年、個体数が多いということは、ユキヒョウのすむ場所と人の暮らす場所が隣接する可能性が高まることも意味しています。
ラダックでは、昔から牧畜が人びとの暮らしに密着していて、家畜は大切な財産です。
2023年にWWFは、ラダック東部のハンレ地域の4,000km2で家畜の死因調査を行ないました。
これによると、最大の死因は肉食動物の襲撃で、家畜5,460頭が犠牲になりました。内訳は、オオカミによるものが3,087頭、ユキヒョウに襲われたのが329頭、その他イヌワシなどに襲われた家畜もいました。
生活になくてはならない家畜を奪われた人びとは、当然肉食動物に対して良い感情を抱きません。中には、罠などを使い報復する人もいます。このような肉食動物と地域住民とのあつれきは、ユキヒョウ保全において解消すべき、重要な課題です。
これを解決するため、WWFは、牧畜を営む地域住民に対して肉食動物の襲撃から家畜を守る「コラル」と呼ばれる家畜囲いの強化や、光でオオカミやユキヒョウを追い払うフォックスライトやフラッシュライトの提供を行なってきました。
今回の視察で見た、最近設置されたコラル(家畜囲い)は、これまでのものとは少し異なっていました。
住民の要望を反映し、動物の習性を考慮しつつも設置費用を抑えるための工夫がなされていたからです。
また、肉食動物の種類や家畜の飼育形態に合わせて適した防御策の選択や、導入の効果検証も行なわれていました。
野生動物と野犬、人と野犬のあつれき
家畜を襲うのは、オオカミやユキヒョウなどの野生動物だけではありません。野生化したイヌ(野犬)による襲撃も確認されています。
過去の視察でも市街地での野犬の多さは、目についていましたが、今回は複数のフィールドスタッフや地域住民から野犬に関する話しを聴きました。
オグロヅルは、ラダックを代表する大型の水鳥で、地域にはこの鳥を見ると幸運が訪れるという言い伝えもあります。
先ごろ腹部だけを食べられたこの鳥の死体が見つかりました。野犬に襲われたものとみられます。
他にも野犬が原因で野鳥が見られなくなった営巣地が報告されています。
野犬による家畜の襲撃も問題ですが、さらに困ったことに、野犬に襲われたのをオオカミなどによるものと誤解し、野生動物に報復が行なわれるケースもあります。
また、人が被害に遭った事件も明らかになっています。子どものみならず、大人が野犬の群れに襲われ、食い殺された事例もあります。
インドは、狂犬病による死亡者の最も多い国。感染症対策という面からも、野犬対策は必須です。
野犬の数を減らすために、捕獲して収容施設に移したり、不妊処置を試みたりしていますが、野犬の数が多すぎて効果は得られていません。
今後、政府、獣医師団体やNGOが連携して、取り組みを行なう方向で動き出しています。
人びとの間のあつれき
あつれきが問題になるのは、動物と人の間だけではありません。人と人の衝突はより深刻かもしれません。
たとえば、野犬問題で住民と軍関係者の間にあつれきが生じています。ラダックには多くの軍事キャンプがあります。そうした施設での野犬への餌付けやごみの不適切な管理が、野犬の増加の原因と考えられているからです。キャンプは、ラダックに点在しているため、市街地以外でも野犬が増え、問題が多様化しているのです。
あつれきは、牧畜を営む人びとと政府職員の間にも。野生動物によって家畜を失うのは、牧畜を生業にする人々にとっては、財産の損失です。当然、損失の補償やこれ以上の損失を防ぐことを求めます。
ユキヒョウなどに家畜を殺された場合、政府から補償金が支払われます。その為の申請には、担当する野生動物部局の職員が被害状況を確認し、書類を提出する必要があります。しかし、担当する政府職員が状況確認に来てくれなかったり、支払われた補償金を横領したりすることがあるというのです。
また、野生動物の保護という名目で、野生動物と住民の衝突を解決しようとないという不満の声も聞かれました。
WWFは、今後、食品廃棄物の管理に関する軍への申し入れや、地域の人びとが活用しやすい補償制度の見直しの提案を行ない、こうしたあつれきの解消を目指します。
今回の視察では、ユキヒョウをはじめとする野生動物保全や持続可能な放牧地管理の実現において、問題となる様々な要因を知ることができました。何が問題を構成しているのか理解できれば、ひとつずつ答えを探すことができるはずです。
女性の能力開花の支援と肉食動物の生息調査
機織トレーニング
WWFは、ラダックでのユキヒョウ保全プロジェクトの一環として、地域住民、特に女性たちとの連携と支援にも力を入れています。
ラダックの女性はとても働き者です。しかし、コミュニティでの発言力は男性の方が強く、ジェンダー平等が実現しているとは言えません。
WWFがプロジェクトで目指している住民主導の持続可能な放牧地管理のためには、牧畜の重要な担い手である女性の参画が欠かせません。
女性の発言力強化と産品である羊毛や山羊毛の価値を向上させて過放牧を防ぐために、WWFでは地域コミュニティの女性グループに機織機と専門家によるトレーニングを提供しています。
視察では、5か所の訓練センターを訪問しました。最も早くトレーニングを開始したプラック村では、ラダックで生産される高品質のパシュミナのショール作りが行なわれていました。
ユキヒョウ生息調査
ラダックの首都・レーにあるWWFインドのフィールドオフィスでは、生物学者であるスタッフによって、2024年冬から春にかけて実施したカメラトラップ※を用いたユキヒョウ等肉食動物の生息調査データの解析が行なわれています。
※カメラトラップ:自動撮影カメラ。赤外線センサー付きのカメラを、文字通り「罠(トラップ)」として動物の移動経路に仕掛け、動くものが前を通ると、センサーが反応して、自動で撮影される仕組みです。通常、2台1セットとして設置し、左右両側から動物を撮影します。
2024年初めに発表されたインド政府主導の調査によって、ユキヒョウの推定個体数は示されましたが、ラダック内での分布や他の肉食動物の生息状況はよくわかっていません。そのため、WWFは、独自に調査を行ないました。
ラダック南東部のチャンタン地域2,500km2に設置した49セットのカメラトラップで撮影された膨大な量のデータを、まず動物が写っているものと写っていないものに分けます。
そして動物の種類毎、ユキヒョウの場合は、さらに個体ごとに分類します。
ユキヒョウの個体識別は、体の大きさ、雌雄、模様などの違いをたよりに、目視で行なわれています。
将来的には、こうした情報がデータベース化され、より簡便に個体識別がなされるようになることが期待されます。
今回の視察では、プロジェクトの着実な進捗が確認できたと共に、野犬問題のような新たな課題も明らかになりました。
状況の変化に対応しつつ、着実にユキヒョウをはじめとする野生生物の保全を進めていきます。