江戸時代の土木遺構「廻水路」、今では希少魚の重要な生息環境に! ~過去の水をめぐる諍いの解決策は、今日の生物多様性保全へ向けた持続可能な解決策となった~
2024/07/08
公益財団法人世界自然保護基金ジャパン
ポイント
- 生物多様性の劣化は地球規模の課題であり、その保全が世界的にも求められています。特に淡水生態系の劣化は著しく、地域レベルでの保全と再生を目指す実践的取り組みが不可欠です。
- 九州大学流域システム工学研究室とWWFジャパンの共同研究による福岡県矢部川流域の網羅的フィールド調査によって、歴史的土木遺構である「廻水路(※1)」が、希少種であり有明地域を象徴する魚でもある「アリアケギバチ」の重要な生息場所であることが明らかとなりました。
- 数百年前に築造された廻水路が、意図せずして今日の淡水魚類多様性を支えていることを示しました。これは、地域特有の歴史的遺構が、生物多様性保全における一つの解決策となりうることを示唆しています。生物多様性と歴史・文化が結びついたユニークな研究でもあります。
- 今回の研究成果が廻水路の価値の見直しとアリアケギバチの生息環境、生物多様性保全、文化的に重要な場所の保全に貢献することを期待しています。
概要
世界の淡水生態系の豊かさは過去50年間で約83%が失われたとされ、その保全は世界的な課題となっています。日本も例外ではなく、九州の固有種でこの地域の淡水生態系を象徴する淡水魚アリアケギバチ(Tachysurus aurantiacus)も、河川環境の人為改変などの要因で絶滅の危機に瀕しています。しかし、保全に向けた具体的な解決策は確立されていませんでした。
国立大学法人九州大学(以下 九州大学)大学院工学研究院流域システム工学研究室の山﨑庸平氏(修士課程2年)、林博徳准教授、鹿野雄一特任准教授および公益財団法人世界自然保護基金ジャパン(以下 WWFジャパン)の共同研究グループは、福岡県矢部川流域においてアリアケギバチの生息状況と環境の網羅的フィールド調査を行い、当該地域の水利施設である「廻水路」が同種の重要な生息場所であることを明らかにしました。さらにその要因が、廻水路特有の歴史的背景に裏付けられた水管理の方法や水理特性にあることを示しました。廻水路は、江戸時代に、矢部川を境界とする二つの藩(久留米藩と柳川藩)が、稲作のために水資源を自藩領に引き込むために、両藩が競い合って築造した水利施設です。その機能は現在でもなお健在で、矢部川流域の農業と人々の暮らしを支えています。本研究成果は、水争いの解決策として造られた廻水路が数百年の時を経て、意図せず淡水魚類多様性を支えていることを示しました。このように本研究では、土木遺構である廻水路の保全が生物多様性保全に貢献することを示しました。地域の歴史文化的背景を持つ遺構や水管理システムが、生物多様性保全の重要な解決策となり得ると考えられます。
本研究は、生物多様性と歴史・文化が結びついたユニークな研究でもあり、その成果は2024年6月に国際学術誌「Biodiversity Data Journal」のオンライン版にて公開されました。
研究者からひとこと
本研究は、歴史や文化を大切にする姿勢が生物多様性の保全に寄与する可能性を示唆したものです。大学院生の私にとって本研究は、研究活動に魅力を感じるきっかけとなりました。今後も生物多様性保全に貢献する研究活動に携わりたいと考えています。本成果が地域の歴史や文化の価値の見直しに繋がり、真に豊かで持続可能な社会の構築に資することを願っています。(修士2年 山﨑庸平)
研究の背景と経緯
現在、世界は生物多様性の劣化という大きな危機に直面しています。2022年12月に開催されたCBD COP15(国連生物多様性条約締約国会議)では、生物多様性を回復させる動きである「ネイチャー・ポジティブ」が国際目標となりました。これを実現する手段として自然を活用し、社会課題の解決を目指すNbS(Nature-based Solutions)が注目されています。
一方、日本では古来より地域ごとの特性に合わせた水利施設や水管理手法が発達してきました。これらの歴史的水利施設は、自然由来の素材が使用されるため生態系との親和性が高く、歴史文化的な価値のみならず、NbSとして生物多様性のへの貢献が期待されています。しかし、それらの歴史的水利施設は経年劣化や激甚化する洪水被害によって徐々に姿を消し、それらが有する有益な機能が明らかにされないまま、利便性や施工のしやすさからコンクリート構造物等による「グレーインフラ」に置き換えられつつあります。この傾向が続けば、歴史や景観等の文化的損失だけではなく、淡水生態系が失われる恐れがあります。共同研究グループは、歴史的水利施設の有する多面的価値について評価し、社会に発信する必要があると考え、本研究の着手に至っています。
研究の内容と成果
本研究では、矢部川流域に存在する7つの廻水路のうち、扇状地流程に属する4つの廻水路と、同地域の2つの支流を対象に、希少魚類であるアリアケギバチの生息状況を調査しました。調査は2022年10月から12月に行われ、廻水路および比較対象となる支流で50mの調査区をそれぞれ5箇所選定し、合計30調査区で定量的な捕獲調査を実施しました。併せて、9つの生息環境要因を測定し、それらのアリアケギバチ個体数への影響について検証しました。捕獲調査の結果、総計70個体のアリアケギバチが採集されました。70個体中68個体が廻水路で捕獲され、廻水路が同魚種にとって重要な生息地であることが示されました。さらに統計解析の結果、9つの環境要因のうち「廻水路であること」と「水際によく植生が繁茂していること」がアリアケギバチの分布確率を高めていました。
廻水路は、歴史的には、各藩の農地に水を引き込むための農業用水路として建設されましたが、現在では河川の上流と下流を連続的につなぐ機能を果たしています。この機能は、魚類の回遊を可能にし、河川の生態系のネットワーク維持に貢献しており、アリアケギバチの生息を含む淡水生態系に対しても良い影響を与えていると考えられます。
今後の展開
本研究により、廻水路が希少種であるアリアケギバチの生息地を提供していることは明らかであり、その生物多様性保全価値が示されました。また、水を巡る諍いの中で築造され、そしてその解決策として活躍した廻水路が、現在では矢部川流域の生物多様性保全を支えているという事実は、人と自然の共生という点において重要な示唆を与えてくれています。
しかし、廻水路の社会的な見通しは楽観的ではありません。石積み護岸の老朽化や豪雨災害による被災により、コンクリート等の代替構造物による改修が進んでいます。これにより生態系機能が劣化し、歴史・文化的な景観も失われる可能性があります。今回の研究成果が廻水路の価値の見直しにつながり、アリアケギバチの生息環境の維持、生物多様性保全、文化的に重要な場所の保全に貢献することを期待しています。
九州大学流域システム工学研究室とWWFジャパンの共同研究グループでは、引き続き生物多様性と地域の歴史・文化との関係性に注目し、ネイチャー・ポジティブで持続可能な社会構築へむけた解決策を提案する研究及び保全活動に力を入れて取り組んでいきます。本研究テーマの続編にご期待ください。
参考図
用語解説
(※1) 廻水路
江戸時代に矢部川を藩境とする二つの藩(久留米藩と柳川藩)が、水田耕作のために水資源を自藩領に引き込むために、競い合って築造した水利施設。水資源を巡る諍いの中で造られたものであるが、廻水路及びその水利システムの構築は水争いの解決策として機能した。現在もなお、矢部川流域の農業や地域の暮らしを支えている。そして、ほぼ築造当時の構造や環境が維持されており、地域固有の風景や歴史・文化の象徴でもある。
謝辞
本研究は"Project for Nature-based Flood Management and Freshwater Ecosystem Conservation in the Ariake Sea Area of the Kyushu region in Japan (The Coca-Cola Foundation)."および国土交通省河川砂防技術研究開発公募 地域課題分野(河川生態,課題名:「大規模な洪水攪乱下での河川構造の複雑性の機能と河川生態系の保全・回復に関する研究」)の助成を受けたものです。
論文情報
掲載誌:Biodiversity Data Journal
タイトル:Detour canal, a civil engineering heritage created through historical struggle for water resources, now provides the habitats for a rare freshwater fish
著者名:Yohei Yamasaki, Hironori Hayashi, Suguru Kubo, Takashi Namiki, Yuichi Kano
DOI:10.3897/BDJ.12.e119517
URL: https://bdj.pensoft.net/article/119517/