世界的にも希少な野生生物が生息する日本の田んぼ。
色とりどりにきらめく淡水魚、様々な姿や生態が見られる水生昆虫、水辺の守り主のようなカエル・イモリなどの両生類。
かつて身近にいたこれら生きものの多くが、今、絶滅の危機にさらされています。
このままでは、命あふれる田んぼの風景は、日本から消えてしまうかもしれません。
日本の水田は、世界的に見ても生物多様性の豊かな生態系で、5668種もの野生生物の生息が確認されています。(※1)
しかし、水田の面積は、1960年代から2000年代までの間に約24%減少。残された水田も、農業の近代化に伴い、土の水路がコンクリートで覆われる等、大きな環境の変化にさらされてきました。
加えて、人が持ち込んだ外来種の影響や密猟も、日本固有の水辺の生きものの脅威となっています。
その結果、日本産の汽水・淡水魚の42%が絶滅したか絶滅のおそれのある危機的状況に陥っています。このような魚類の多くが水田やその周辺水域に生息しています。(※2)
改修工事が行われた様子。改修前には希少種を含めた多くの生きものがいました。
今、希少種が生息している場所を含め、全国各地で改修工事が計画されています。
水田の生き物図鑑
日本の水田に生息する、
希少な生きもの
ニッポンバラタナゴ
学名 Rhodeus ocellatus kurumeus
コイ目コイ科バラタナゴ属 全長4~5cm 絶滅危惧IA類(CR)
琵琶湖・淀川水系、大和川水系、山陽地方、四国北東部、九州北部に分布。
カゼトゲタナゴ(北九州個体群)
アユモドキ
学名 Japanese botia
コイ目ドジョウ科アユモドキ属 全長15~20cm 絶滅危惧IA類(CR)
琵琶湖・淀川水系と山陽地方にのみ分布する日本固有種。 水路や河川、池沼に生息するが、繁殖は浅い氾濫原湿地や水田域で行なうため、これらの環境が広く失われた結果、現在の生息地は京都と岡山の数か所のみに。
ハス
学名 Opsariichthys uncirostris
コイ目コイ科ハス属 全長20~30cm 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
自然分布域の琵琶湖・淀川水系と三方湖では絶滅が心配されているが、稚魚が琵琶湖の稚アユに混ざり放流されたため、各地で姿を見ることができる。
ヤマノカミ
学名 Trachidermus fasciatus
スズキ目カジカ科ヤマノカミ属 全長15~20cm 絶滅危惧IB類(EN)
日本では九州の、佐賀県、福岡県、熊本県に面した、有明海の流入河川と周辺海域にのみ生息する。
セボシタビラ
学名 Acheilognathus tabira nakamurae
コイ目コイ科タナゴ属 全長6~12cm 絶滅危惧IA類(CR)
世界では日本にしか分布していないタナゴ類タビラの一亜種。
アリアケスジシマドジョウ
学名 Cobitis kaibarai
コイ目ドジョウ科シマドジョウ属 全長6~9cm 絶滅危惧IB類(EN)
世界で九州の佐賀県、福岡県、熊本県の有明海流入河川にのみ分布する、日本固有の淡水魚。
アリアケギバチ
学名 Tachysurus aurantiacus
ナマズ目ギギ科ギバチ属 全長15~30cm 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
九州西部の福岡県那珂川から鹿児島県川内川、宮崎県大淀川に分布する、日本の固有種。
ゼゼラ
学名 Biwia zezera
コイ目コイ科ゼゼラ属 全長4~7cm 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
近年は、琵琶湖・淀川水系のゼゼラ(ヨドゼゼラ)と分けられ、別種とする分類も採用されているが、それまで長く、この2種は同一の種として扱われてきた。
イチモンジタナゴ
学名 Striped bittering
コイ目コイ科タナゴ属 全長5~10cm 絶滅危惧IA類(CR)
濃尾平野から近畿地方に分布する日本固有種。 元の分布域では絶滅寸前だが、九州では国内外来種として問題になっている。
ヤリタナゴ
学名 Slender bitterling
コイ目コイ科アブラボテ属 全長5~10cm 準絶滅危惧(NT)
本州から九州に広く分布。中流から下流の細流や水路などに生息し、やや流れがある場所を好む。生息環境の悪化による危機にさらされている。
カワバタモロコ
学名 Golden venus bleak
コイ目コイ科カワバタモロコ属 全長3~6cm 絶滅危惧IB類(EN)
静岡県以西の本州と四国、九州北部に分布する日本固有種。 九州では川などにはほぼ生息しておらず、流れのない土の水路でしか生きられない。
ツチフキ
オヤニラミ
学名 Coreoperca kawamebari
スズキ目ケツギョ科オヤニラミ属 全長6~12cm 絶滅危惧IB類(EN)
京都以西の本州、九州北部に自然分布する。流れの緩やかな河川の中流域に生息。
日本の水田とそこに生息する野生生物を守るため、WWFジャパンは、「水田・水路の生物多様性と農業の共生プロジェクト」をスタートしました。
このプロジェクトでは、九州の佐賀・福岡・熊本各県にまたがる水田地帯をモデル地区として、農業者や研究者、行政や学生の皆さんと協力しながら、水田生態系を保全する様々な活動を行っています。
WWFがこのプロジェクトを推進する理由
1
世界的に希少な野生生物の生息地であること
2019年7月にIUCN(国際自然保護連合)が発表した「レッドリスト」(絶滅の危機にある世界の野生生物のリスト)には、新たに約30種の日本固有の淡水魚が加えられました。このプロジェクトの実施地に生息する、アリアケスジシマドジョウも含まれています。
これら日本の淡水魚は、サイやトラといった、他のIUCNレッドリスト種と同じレベルで絶滅のおそれの高い、保全の必要性の高い種であることが確認されました。
環境省のレッドリストにも、水田生態系に生息する多くの魚類・昆虫・両生類・は虫類が絶滅危惧種に指定されています。特に、日本産の汽水・淡水魚の42%が絶滅したか絶滅のおそれのある危機的状況に陥っています。
WWFは、世界的にみても重要な野生生物の生息地として、日本の水田生態系を守るため活動してゆきます。
2
水田は重要な湿地であること
水田やその周辺の水環境は、国際的な湿地保全条約「ラムサール条約」でも、保全すべき重要な水環境(湿地)の一つとして定義されています。
特に、プロジェクトを実施している福岡・佐賀・熊本三県にわたる有明海沿岸の水田地帯では、網の目のようにめぐる農業用水路(クリーク)や、季節に応じた水位調整など、独特の水循環システムが発達し、他には見られない独特の水環境が多種多様な野生生物を育んできました。
環境省 日本の重要湿地500
環境省 日本の重要里地里山500
佐賀県 生物多様性重要地域
3
農業と野生生物の両立を目指して
水田は、人の手が加わることで、周辺の山地や雑木林とも一体となって里山・里地を構成し、多種多様な生きものを育んできた二次的自然です。水田は、同時に、日本人の主食であるコメを生産する農業地として私たちの暮らしを支えています。
農業と野生生物の関係について、今後陸域で起きるであろう生物多様性の損失の70%は、農業関連の要因によると予測されています。(※1)
また、「工業化された農業」は、化石燃料への急速な依存拡大と並んで、地球の限界を超え、生物多様性を損なう人間活動の代表として挙げられています。(※2)
一方で、二次的自然である水田生態系は、農業という人の営みがあることで成立し、維持されてきました。人の影響を排除すれば生物が戻ってくるという単純な関係ではなく、水田が放棄されるなどして人の手が加わらなくなると、生息が難しくなる生きものもいます。水田の生きものを守るためには、農業と自然との両立が不可欠です。
WWFのミッションは、人と自然が調和して生きられる未来を築くこと。このプロジェクトでは、持続可能な農業と生物多様性の保全の両方の実現を目指します。
WWFの活動の例
1希少な生きものの生息地域を調べる
日本で一番複雑な水路が走る九州地域のフィールド調査で、最新の情報を集め、希少な生きものの重要な生息地域の抽出を行います 。
2保全技術とモデル地域の確立
・希少な淡水魚の重要生息地である県や市町村など行政に、日本の水田風景と希少な生きもの保全のアプローチを行います。
・ 農業の近代化と生きものへの配慮の両立を図るために、農業者との協働を進めます。
・水田風景の未来を守っていくために、次世代の若者や子どもたちに、地域の希少な生きものや生態系を知ってもらうための活動を行います
水田の自然と生きものを守る人たち
WWFジャパン 並木崇
「あと5年くらいで、今ココにいる生きものたちの数は劇的に減ってしまうだろう。」
ある研究者から聞いた言葉です。
今も、世界でココにしかいない生きものの生息地が、壊される計画に直面している場所が多くあります。
正直に言って焦ります。
ですが、近代化する農業と生物多様性保全の両立は、必ず出来ると信じています。
将来に渡って「命あふれる水田・水路」を残していくためには、より科学的知見を蓄積し、それを農業者の皆さまを始めとして、企業や行政、消費者の皆さんに理解して頂き、参加を得ながら、課題解決に向けて一緒に考えていくことだと思います。
プロジェクトは、まだまだこれからですが、農業高校をはじめとした高校生たちとの連携も始まりました。課題解決に向けて、さまざまな取り組みが動き出しています。そのための活動を是非応援して下さい。
鬼倉徳雄
九州大学大学院生物資源環境科学府附属水産実験所
(動物・海洋生物資源学講座アクアフィールド科学研究室)
日本の水田は、人の生業と自然が共生し、人と野生生物が共に暮らし続けている貴重な場です。
WWFジャパンと共同プロジェクトを実施している福岡・佐賀・熊本三県にわたる有明海沿岸の水田地帯には、網の目のように張り巡る農業用水路(クリーク)があり、流速が異なる水路の連結と農事季節に応じた水位変化が見られ、そこに、ニッポンバラタナゴ、セボシタビラ、アリアケスジシマドジョウ、カワバタモロコ、カゼトゲタナゴといった、希少な魚類が生息し続けています。このクリーク網の生態系は、古くより干潟を干拓して造成した広大な農地に、農業用水を巡らせるために、先人たちが様々な工夫を行った証であり、それが今なお、現役で働き続けている貴重なものです。
近年は農業の近代化にともない、魚たちの生息に適した土堤の水路が少なくなるなど、人的改変が進みつつあります。今を生きる我々が、かつての先人たちの工夫のように、人と野生生物が共に暮らしながら、農の素晴らしさを次世代に繋ぐため、様々な工夫を考え、知恵を絞るべき時であると確信しています。
中島 淳
福岡県保健環境研究所
河川の周りに自然にできる湿地帯は、そこに暮らす人々に多くの恵みを与え続けてきました。今の日本列島ではその面影の多くが失われてしまいましたが、有明海に面した大規模な水田・水路地帯の中には、かつての湿地帯の風景を感じることができます。そして今もなお、この風景の中には多くの貴重で有用な湿地帯生物が多く暮らしています。残念ながら近年の農地の近代化による環境改変により、この地域においても絶滅が危惧される生物がでてきており、ウナギをはじめとした有用種もまた激減してしまいました。しかし21世紀となり、生物多様性の保全が大きな社会的課題となるにつれて、各地で様々な取り組みが始まっています。水田・水路地帯では、単なる保全ではなく、農業生産と野生生物の共存を考えていくことが何よりも重要です。現実にどのような問題があり、どのようにしたら解決するのか?この機会にぜひ、多くの人に考えて欲しいと思います。
林 博徳
九州大学大学院環境社会部門 流域システム工学研究室
私は、子供の頃から川や水辺で虫採りや魚採りをして遊ぶことが大好きでした。
水田やその周りの水路も、私にとってはたくさんの生物と出会える最高の遊び場でした。
そのような思いが高じて現在、私は川や水辺の環境を保全・再生するための研究や教育活動に取り組んでいます。
その一環で、子供たちを対象とした環境学習教室を水田や水路で開催することがあります。
環境学習に参加したほとんどの子供たちは、いきいきとした表情で目を輝かせ、泥んこになりながら、楽しそうに自然環境や生き物と触れあってくれます。
水田は、人々の暮らしにとって欠かせない食料をつくる場であり、生き物にとっても重要な生息場所であることはもちろんです。
それに加え、こどもたちにとって貴重な自然体験を提供する場所であるという点は、水田やその周りの水環境のもつ重要な価値の一つであると私は考えています。
このような価値やこどもたちが自然と触れ合う光景は、水田の自然や生き物が失われれば、なくなってしまいます。
自然体験をするこどもたちの笑顔や、その光景を未来に残していくという点においても、水田の自然や生き物を守ることはとても大切だと思っています。
人と自然が調和して
生きられる未来を目指して
WWFは100カ国以上で活動している
環境保全団体です。