南三陸・責任ある養殖推進プロジェクト完了報告
2024/03/12
- この記事のポイント
- 2011年3月11日の東日本大震災を契機に、宮城県南三陸町で始まった、WWFの「暮らしと自然の復興プロジェクト」。被災地・被災者の環境・社会上の課題やニーズを聞き取るところから始まったこの取り組みは、南三陸町戸倉地域のカキ生産者の「持続可能な生産を実現したい」という思いを支え、日本初のASC認証の取得へとつながりました。これに続いて展開された「南三陸・責任ある養殖推進プロジェクト」では、戸倉の事例を普及拡大させつつ、地域で自立的に認証制度が維持される体制づくりを目指しました。着手から12年あまりが経過した取り組みの、これまでの成果と課題を報告します。
東日本大震災からの支援プロジェクトの着手
緊急募金から支援プロジェクト立ち上げへ
2011年3月11日、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震とその後の津波は、東日本の太平洋沿岸に甚大な被害をもたらしました。多くの犠牲者と、家屋・インフラ設備等の被害は、被災地のみならず、日本全体の生活・産業にも影響を及ぼしました。
こうした未曽有の災害に対し、WWFジャパンは国内で活動するNGOとして何ができるか、何をすべきかを検討し、まずは被災地の生活支援のための緊急募金を開始しました。被災者の生活支援、被災地の復興資金として、各地に届け、被災者の方々にお話をお伺いする中、環境保全団体ならではの専門性を活かした支援の在り方を模索しました。
「暮らしと自然の復興プロジェクト」と名付けられた緊急プロジェクトでは、2011年の7月より、宮城県南三陸町と福島県相馬市を支援地区に選定し、環境や社会調査の実施、地域関係者のニーズや復興に向けた課題の抽出、共同プロジェクトの実施に向けて活動をスタートさせました。
南三陸町戸倉地区の養殖再開に向けた課題と決断
宮城県南三陸町は、南三陸金華山国定公園(当時)に指定され景観・生物多様性に優れた志津川湾を有し、そこでの主な産業はカキ、わかめ、ギンザケなどの養殖業を中心とする水産業でした。
しかしながら津波は湾内および沿岸の養殖関連施設を一掃してしまいます。養殖業の復旧・再開にあたり、宮城県漁協志津川支所戸倉出張所(志津川湾の南部海域を管轄)に所属する漁業者は、自らいくつかの決断をします。
- 湾内の養殖施設の配置を見直し、カキの養殖いかだは3分の1に削減、ギンザケの養殖いけすは沖合に移動
- 養殖施設数の組合員への配分を見直し、後継者のいる組合員に多く配分
- 「がんばる復興補助金」を獲得し、3年間の組合員による協業体制を構築
こうした決断の背景には、震災以前に長年にわたって続いた「過密養殖による漁場環境の悪化と生産性の低下」がありました。特にカキ養殖はその影響が大きく、収穫までの期間が長期化するだけでなく、品質も県内の中でも最低クラスだったと言います。
WWFジャパンは、専門家による環境調査、社会経済調査による調査結果を踏まえ、被災地の実態と復興に向けた課題を報告書にまとめるとともに、戸倉地区の漁業者の皆さんに対して、養殖の国際認証であるASC認証の取得を提案しました。
日本初のASC認証取得を目指して
日本でのASC認証導入にむけて
ASC(水産養殖管理協議会)認証とは、2010年に発足した環境と社会に配慮した養殖水産物のための国際認証制度です。日本では2012年に大手スーパーにおいてノルウェー産のASCサーモンの販売が開始されますが、当時は日本語での情報がほぼなく、また認証審査資格を持つ審査機関もありませんでした。
そこでWWFジャパンは、基準書やマニュアル等の翻訳作業、基準に即した環境調査、国内の認証審査機関へのASCへの対応の働きかけなどを実施。また南三陸戸倉のカキ生産者の皆さんに対しても、認証取得による意義やメリットを伝えつつ、理解と協力を求めまました。
宮城県、水産試験場、大学・研究者、加工場、環境NGO、地元の有識者など様々な人・団体の協力の下、予備審査と情報収集、書類整理を行い、2015年11月にカキ養殖のASC認証審査を行い、翌年3月、無事認証取得に至ります。それは奇しくも震災から5年目を迎える春のこと、被災地でのASC認証取得は様々な反響を呼びました。
環境と社会に配慮した養殖業の価値
震災後、再開した養殖カキはこれまで以上の早さで成長しました。これまで収穫まで3年かかっていたものが、早いもので1年で収穫できるようになったのです。過密養殖を解消したひとつの効果と考えられます。
こうした生産性の改善は、生産量と収入にも変化をもたらしました。震災以前と比較して、収穫量で2倍、収入で1.5倍増となったのです。同時に施設台数を減らしたことで、養殖にかかる経費も削減することができました。
また若いカキは排泄物に含まれる有機物量が少なく、短いサイクルで若いカキを収穫することで、環境負荷も低減できることが分かりました。生産量が増えたにも関わらず、環境負荷は低減したのです。
さらには、カキ剥きにかかる作業時間も大幅に短縮されるなど、収入や労働環境の改善は、若手漁業者の参加を促しました。令和元年度の農林水産祭の最高賞である天皇杯を受賞するなど、社会的にも大きく評価されました。
ASC認証の普及拡大と維持
ASC認証の普及と拡大
南三陸町戸倉地区でのASC認証の取得は、隣町で県内最大の養殖カキの産地でもある石巻市へと波及します。ASC認証水産物を多く取り扱う大手スーパーが認証取得を働きかけたのです。
審査準備はWWFジャパンもサポートしましたが、環境調査や資料準備など、大きく貢献したのは戸倉で培われたノウハウとネットワークです。こうした経験が活かされ、石巻市の宮城県漁協石巻・石巻湾・石巻東部の3支所は2018年にASC認証を取得。これにより宮城県内のカキ生産における認証取得率は過半数を超えます。
また志津川湾北部を管轄する宮城県漁協志津川支所(南部は同支所戸倉出張所管轄)でも、2022年には認証取得の検討が始まり、翌年10月に認証取得に至ります。これで宮城県の志津川湾および石巻湾全体において、環境と社会に責任のあるカキ養殖の生産体制が構築されました。
取り組みの維持とASC認証の役割
上述したように、戸倉の漁業者の皆さんが自ら決断した環境と社会に配慮したカキ養殖は、様々な価値を生み出しました。しかしこうした取り組みは継続しなければ意味がありません。
戸倉でカキ養殖を営む漁業者は25経営体ほどです。漁協や生産部会によりある程度のルールは決められますが、いわばそれぞれが独立した事業者です。ASC認証はこうした取り組みの維持・強化に役立ちます。
そこでWWFはASCの年次監査に合わせて、漁協による内部監査の手順書案を作成し、年次監査に必要な各組合員からの情報収集の仕組みの構築をサポートしました。
いっぽう毎年の年次監査に加え、3年毎の更新監査には、多くの審査費用が必要となります。そこで戸倉支所では、補助金の活用に加えて組合員による積立金制度を作りました。生産者にとっては決して少なくない額となりますが、2019年の更新時に、ASC認証の維持に反対する組合員はいなかったと言います。
経済的・社会的価値に加え、対外的な評価、そして海を守りながら生産を行うことへの自負が、そこにはあったのでしょう。
認証取得から複数の年次監査や更新監査を経て、今では漁協が主体となって監査に必要な調査の実施や情報収集を行ない、資金確保は、漁協と地域が主体となって行う体制が整備されました。
認証の取得・維持にかかるコストは、販売価格に転嫁するのは難しく、生産者負担となることが多い中、小規模な生産団体が主体的に維持する事例は、きわめて珍しい事例と言えるでしょう。
津川湾の保全と漁業との共存
かねてより生物多様性が高く、保全価値が高いとされてきた志津川湾ですが、2015年に三陸復興国立公園へと編入され、2018年には、その5,793haが海域公園地区に指定、さらにラムサール条約に登録されました。
ラムサール条約とは、生物多様性や社会・文化的な価値が高いウェットランド(湿地)を保全する国際条約で、ウェットランドの保全管理を推進・担保するうえで、きわめて重要な施策です。
日本には志津川湾を含め53か所のウェットランドが登録されていますが、その登録にあたっては、既存の産業や開発・整備事業などとの調整が必要なため、そうした区域を外したり、そもそも登録が実現しないなどの例も多数あります。
またラムサール条約の理念のひとつが、ワイズユースです。保護するだけではなく、自然の恵みの持続可能な利用を推進するものですが、志津川湾のカキ養殖におけるASC認証の取得は、まさにこのワイズユースの好事例として評価されています。
今後の課題とは
三陸で実現できなかったこと
宮城県漁協志津川支所戸倉出張所による取り組みは、環境・社会・経済的価値を生み出し、ASC認証の自立的な取得体制へとつながる好事例となりました。いっぽう、漁協や生産者とWWFの間で検討・模索したにも関わらず、実現できなかったこともありました。
それはカキ以外での認証取得です。これまでにワカメやギンザケでも認証取得を検討し、調査や予備審査も行いましたが、実際の本審査までは至りませんでした。それは既存の流通・販売ルートが複雑で多岐にわたるため、認証取得のメリットが、生産者や季節、年によって変わる可能性があること、またギンザケ養殖においては、円安や戦争による飼料や燃料費などの大幅な生産コスト増の影響で、認証取得による採算が見込めないことが要因です。
特に生産コストの増大は、宮城県のギンザケ養殖に限った問題ではなく、全国の水産業全体の深刻な課題となっています。こうした中、生産者からは、スーパー等の企業による認証製品の安定的でまとまった数量の調達や、認証コストの一部費用負担などの声も上がっていますが、難しい状況が続いています。
戸倉の経験を活かし、課題を改善するために
ASCなどの認証取得は、生産者だけの取り組みとするのではなく、消費者までを含むサプライチェーン全体で取り組むことが重要です。そのため、WWFジャパンでは、消費者との接点であるスーパーなど小売企業を重視し、持続可能な調達方針とその運用に関する基礎調査や企業との対話に力を入れています。
加えて、金融機関による海洋分野での持続可能な事業への積極的投融資、いわゆるブルーファイナンスの強化のための基礎調査や金融機関との対話も着手しています。
また2024年1月1日に起こった令和6年能登半島地震では、持続可能なイカ漁業を検討すべく対話を開始した石川県漁協小木支所(能登町)も被災しました。甚大な被害がありましたが、WWFジャパンでは、戸倉の経験を活かし、被災地の水産業の復興に貢献する道も模索しています。