ツキノワグマ:四国でのフィールドプロジェクト
2013/11/15
目次
プロジェクトの背景・目的
GPSによるクマの追跡調査
生息地のエサ資源量調査
2つのマップと保全への提言
行政への提言書
フィールドプロジェクト担当者からの言葉
リーフレット
プロジェクトの背景・目的
四国のツキノワグマ
四国山地のツキノワグマは「絶滅のおそれのある地域個体群」として環境省のレッドリストに掲載されています。地域個体群とは、「ある一定範囲に生育・生息する生物一種の個体のまとまり」のことです。
種としての「ツキノワグマ」は、環境省のレッドリストに指定されていませんが、5つの地域個体群が「絶滅のおそれがある地域個体群」として記載されています。つまりツキノワグマは、全国レベルでは絶滅のおそれはないが、地域レベルでは絶滅のおそれがあるということになります。
四国のツキノワグマの生息数は1996年時点で50頭未満と推定され(環境省2014)、ツキノワグマの最小存続可能個体数とされる100頭を大きく下回っています。九州の個体群はすでに絶滅した可能性が高いと考えられている中、日本でもっとも危機的状況にある個体群だといえます。
山奥でひっそりと暮らすクマ
四国山地で2番目に高い山が剣山(つるぎさん)、標高1,955メートルです。かつては四国地方の広い地域に生息していたと考えられるツキノワグマですが、現在ではこの剣山系(徳島県および高知県)だけが、唯一の生息地になっています。
四国では、かつて自然の森を切り開いてスギやヒノキの人工林にする拡大造林が盛んに進められてきたため、四国の山々は頂上付近まで人工林が広がっています。こうした森林は食物が少なく、クマの生息には適していないと考えられます。そのため、四国のクマは剣山系の標高1,000メートル以上にわずかに残る、ブナやミズナラなどの実り豊かな広葉樹の森で、人目に触れることなくひっそりと暮らしているのです。
害獣としての歴史
四国では古くから森林開発が行われてきました。さらに戦後には、木材需要の高まりに対応するため、拡大造林が盛んに行なわれ、スギやヒノキの人工林が広がりました。
ツキノワグマは、スギやヒノキの樹皮を剥いで、甘皮(形成層)を食べることがあります。この被害にあった立木は木材としての価値がなくなるため、林業被害をもたらす害獣として駆除が奨励されました。
1930年代から四国では「害獣」としてクマに懸賞金がかけられ、1960~1970年代には多くのクマが捕殺されました。そして1980年代にはクマの姿をほとんど見ることができなくなりました。
そこで、1980年代後半には捕獲が禁止(1986年高知県、1987年徳島県、1994年四国全域)されました。そのため、四国では1987年以降、クマの捕獲(捕殺)記録はありません。
調査の実施、そして提言へ
このように現在の四国では、クマの捕獲がなく、さらに昨今の林業の不振により、拡大造林もほとんど行なわれていません。減少の原因がなくなったにもかかわらず、四国のクマが危機的な状況を脱することができないのはなぜなのでしょうか?
原因の一つとして、四国の森林は、かつて人の手によって植えられた人工林によって覆われ、ブナやミズナラに代表される落葉広葉樹林など、クマにとっての好適環境が少ないことが考えられます。
そこで、このプロジェクトでは、①GPSによるクマの追跡調査⇒生息適地解析、②生息地のエサ資源量調査⇒堅果類の資源量推定、を実施し、その結果から効果的な生息環境の整備・復元について提言を行ないました。
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GPSによるクマの追跡調査
従来の追跡調査の限界
クマの行動範囲や行動パターンを知ることは、クマの保護管理を行なう上でとても重要な基礎情報です。
従来の追跡調査では、ラジオテレメトリー法が用いられていました。これは、クマに電波発信器をつけ、その発信器からの電波を複数の地点で受信しながら、クマの位置を確定していくものです。
四国のクマは主に標高1,000m以上の奥山で行動しています。そのクマから発信される電波を追跡するには、大変な労力がかかります。この調査方法だと、数日ごとに1回、おおよその位置を把握することしかできませんでした。
それでも、追跡調査をコツコツと積み重ね、2005年から3年間かけて、5頭のクマの行動圏を把握することに成功しました。一方、それ以上の情報を得ようとすると、従来のラジオテレメトリー法では限界があったのです。
GPS(全地球測位システム)の活用
そこで、今回のプロジェクトで導入したのが、GPS(人工衛星を使った全地球測位システム)です。
従来の電波発信器の代わりにGPSロガーを利用し、追跡調査を行ないました。GPSロガーとは、人工衛星からの電波を一定の時間ごとに自動的に受信し、緯度、経度、高度などの情報を蓄積していく装置です。
今回の調査では、首輪型のGPSロガー(GPS首輪)をクマに取り付け、1時間ごとに電波を受信するように設定しました。クマは電波障害の多い奥山を移動しますので、100%の割合で電波を受信できるとは限りませんが、上手くいけば、1時間ごとにクマがどこにいたのか、正確な位置情報を得ることができるのです。
3頭のクマにGPS首輪を装着
クマにGPS首輪を装着するためには、まずクマを捕獲(学術捕獲)しなければなりません。生息数が数十頭とされる四国のツキノワグマを捕まえることができるのか?これが、まず関係者の課題となりました。
調査の初年度である2012年9月、立て続けに3頭のクマが捕まりました。身体測定の後、GPS首輪を装着して、無事に山に放すことができました。その後、約2年間にわたり追跡調査を実施しました。
この3頭はすべてメスだったので、翌年からはより広い行動圏を持つオスを捕獲することが課題となりました。ところが2013年の捕獲は失敗。「ゴンタ」の愛称で呼ばれるオスグマが、捕獲檻の中からエサだけを食い逃げしていたのです(その証拠は自動撮影カメラで撮影されていました)。2014年以降は食い逃げを防止するために檻を改良して挑戦しましたが、2014年、2015年ともに結果を出すことができませんでした。
3頭のクマの追跡結果
2012年に捕獲した3頭のクマを約2年間にわたって追跡することができました。その3頭から得られた情報は次の通りです。
愛称:クルミ
捕獲日:2012年9月1日
性別:メス 年齢:8歳
体重:45kg 全長:122cm
愛称:ショウコ
捕獲日:2012年9月6日
性別:メス 年齢:12歳
体重:52kg 全長:123cm
愛称:ミズキ
捕獲日:2012年9月15日
性別:メス 年齢:13-14歳
体重:55kg 全長:121cm
*年齢は捕獲時のもの
いずれも©四国自然史科学研究センター
クルミの行動圏
ショウコの行動圏
ミズキの行動圏
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生息地のエサ資源量調査
剣山系の堅果(ドングリ)について
堅果とは、木質の硬い果皮に包まれた種子を持つ果実のことで、ドングリが代表的です。ここでの堅果とはブナやミズナラのドングリを指し、ツキノワグマにとって秋季の最も重要な食物です。
過去の調査から、四国のクマも本州のクマと同様に、冬眠(冬ごもり)することが確認されています。このことは、クマが冬眠に入る前にカロリーの高い食物をたくさん食べて、大量の脂肪を蓄えなければならないことを示しています。冬眠中、クマはこの蓄えを少しずつエネルギーに変えて、冬を乗り切るのです。
四国のツキノワグマの唯一の生息地である剣山系には、山奥までスギやヒノキの人工林が広がっていますが、標高1,000メートル以上にはわずかながら、自然林が残されています。その中心は、北日本で広く見られるブナやミズナラの落葉広葉樹林です。四国でも高標高地になると、冷涼な気候になり、こうした森が形成されます。
シードトラップ調査について
「シードトラップ=SEED(種)TRAP(罠)」とは、その名の通り、木から落ちてくる種をキャッチする仕掛け。調査対象となるブナやミズナラの樹の下にシードトラップを設置すると、対象木からドングリが落ちてきたとき、シードトラップの中に入るというシンプルな仕組みです。
この調査によって、ブナやミズナラがどのくらい種子を生産することができるかを知ることができます。
シードトラップは、ホームセンターなどにあるごく普通の材料で作ります。ネットだけは、特殊な形状なので裁縫店に発注しました。これらの材料を調査地の奥山まで担ぎ上げ、山中で組み立て、設置していくのです。
このシードトラップを剣山系の8カ所に、330基設置(2012年のみ7カ所270基)し、4年間にわたり調査を行ないました。シードトラップに落下したサンプルは、2週間に一度回収します。毎年、ドングリが実る前の8月下旬にシードトラップを設置し、ドングリの落下がなくなる12月上旬まで回収を続けました。
サンプルの仕分け作業
シードトラップから回収したサンプルは乾燥させて、仕分けを行ないます。回収したサンプルの中には、枝葉などさまざまなものが混在しています。その中から、まずドングリのみを取り出し、さらにドングリも以下の区分に仕分けします。
- 「健全」:胚(種子が発芽した際、植物本体となる部分)が十分に発達し健全な種子
- 「未熟」:未熟な状態で枝から落下した種子
- 「虫害」:虫害(虫食い)がみられる種子
- 「その他」:鳥獣害や腐食がみられる種子
- 「シイナ」:ブナのみの区分で、胚の発達が十分でない種子
胚が発達した健全なドングリは栄養価が高く、クマをはじめとする野生動物の食物となります。そこで、健全なドングリのカロリー量を測るため、回収したドングリから栄養分析を行ないました。
ミズナラのドングリの仕分け
ブナのドングリの仕分け
4年間のシードトラップの調査結果
330基のシードトラップのうち、ミズナラを対象に196基を設置、ブナを対象に134基を設置しました。2012年から2015年までの4年間にわたり行なった調査結果は次の通りです。
ブナとミズナラを比べると、ミズナラの方が豊作と凶作の差が少なく、安定して種子を生産しているといえます。注目すべきは、ブナの凶作年(2014年)で、この年にはシードトラップから健全種子を全く回収することができませんでした。クマの生息地である剣山系全体でも、ブナの種子生産量は極めて限られていたと推測できます。
ミズナラの調査結果
ブナの調査結果
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2つのマップと保全への提言
クマの生息適地マップ
クマの生息適地マップとは、追跡調査で入手した位置情報を、植生・標高・道路からの距離など既存の環境要因と合わせて解析し、クマが利用する確率の高い環境がある場所を推定したマップです。
GPSによる追跡調査によって、2万点以上の位置情報を入手することができました。この膨大な情報を解析し、クマがどういった環境を好むか/好まないかを把握することで、対象地域全体の評価を行なうことができます。
つまり、今までクマの生息が確認されていない対象地域においても、その場所をクマが好むか/好まないかを推定し、評価することができるのです。
解析はRSFモデル(Resource Selection Function;資源選択関数)によって行ないました。春季・夏季・秋季の季節ごとに、クマが選択する確率の高い生息環境を解析し、さらに、それをマップ化することで、視覚的にわかりやすくしました。
この季節別の生息適地マップは、クマが利用する相対確率(RSF値)を表すもので、0~1の値をとります。RSF値が0に近いほど利用する可能性が低く、1に近いほど高くなります。さらに春季・夏季・秋季の3つのマップから、高いRSF値(0.8以上)を示した地域を抜き出し、それらを合算したものをクマの生息適地マップとしました。
生息適地マップ作成までの流れ
解析対象地域
赤枠の範囲が解析の対象地域で、徳島県・高知県境の剣山系とその周辺地域、約4,200km2となる。
季節別の生息適地マップ
クマの生息適地マップ
堅果類の資源量マップ
生息地における堅果類の資源量マップとは、クマが秋季に主要な食物とする堅果類(ブナ、ミズナラ)の生産量をシードトラップで調査し、その結果を環境省が行なった植生調査のデータを用いて解析することで、どこにどのくらいのエサ資源(カロリーベース)があるのかを示したマップです。
解析の際には対象地域を100m四方に区切り、それぞれの区画でのカロリー量を算出しました。ブナとミズナラ、それぞれに資源量マップを作成し、最終的に、ブナとミズナラのカロリー量を合わせたものを堅果類の資源量マップとしました。
堅果類の資源量マップの作成までの流れ
ブナの資源量マップ
ミズナラの資源量マップ
堅果類の資源量マップ(ブナ+ミズナラ)
2つの調査、結果のまとめ
(1) GPSによるクマの追跡調査のまとめ
クマの追跡調査の実施⇒データの解析⇒マップ化という一連の作業を通して、次のことがわかりました。
- 人工林への低い選択性
- 落葉広葉樹林は人工林に比べ、1.4~2.7倍高い選択確率を示した
- 標高への選択性
- 900~1500mの標高帯で高い選択性が確認された
- 900m以下、1500m以上の地域では低い選択性を示した
- 人為的な影響
- 道路付近では低い選択性を示した
(2) 生息地のエサ(堅果類)資源調査のまとめ
シードトラップ調査の実施⇒データの解析⇒マップ化という一連の作業を通して、次のことがわかりました。
- ブナとミズナラ
- ブナに比べてミズナラの方が安定的に種子が生産され、分布する範囲も広い
- ブナでは健全な種子0個の年が見られた
- クマの安定的な生息のためには、ミズナラの方が重要である
- 資源量の分布
- 高いエネルギー量を示した地域は剣山系の中心地域に集中しており、モザイク状に分布していた
- クマの恒常的な生息域においても、低いエネルギー量を示す地域が確認された
- クマの安定的な生息のためには、生息環境の改善が必要である
マップを活用した保全への提言
プロジェクトの成果として、2つのマップ「クマの生息適地マップ」「堅果類の資源量マップ」を作成しました。 これらのマップを活用し、四国のツキノワグマ保全に向けて、次のような提言をします。
なお、ここではクマの生息地整備に特化した提言になっていますが、関係行政機関へ提出した提言書(⇒提言書へリンク)は、クマの保護管理をより包括的にとらえたものになっています。
生息適地内の資源量が低い箇所で、環境整備をおこなう
クマの生息適地マップによって示される生息適地だが、堅果類の資源量マップを重ねてみると、生息適地内でも資源量が低い(青色の部分)地域が確認できる。
そのような場所を、適切な森林施業によって、堅果類の生産性が高い森林へと誘導することで、効果的に生息環境の質を向上させることができる。
クマの生息適地マップ
生息適地における堅果類の資源量を表したマップ
生息適地を拡大し、最大化をはかる
生息適地解析の結果から、人工林への低い選択性と特定の標高(900~1500m)への高い選択性が確認された。 その標高帯にある人工林を、広葉樹林や針広混交林などに整備することで、効果的に生息適地を拡大することができる。
ただしこの場合、広大な範囲が対象となるため、人との軋轢や農林業との調整などに配慮する必要がある。
生息適地(緑色)と今後整備を行えば生息適地となる人工林(紺色)
保護区において、生息適地を連結し、分断を最小限にする
保護区やクマの生息地域において、分断されている生息適地を復元することは、早急に取り組むべき課題である。 林野庁が、剣山系の国有林に設置した保護林および緑の回廊は、約10,568ヘクタールになる(図中の赤枠)。緑の回廊は、人間の活動によって分断された野生生物の生息地間をつなぎ、動物の移動を可能とすることで生物多様性を確保するために設定されたものである。
ピンクの丸で囲んだ範囲は、緑の回廊内であるが、生息適地が人工林によって大きく分断されている。このような場所が、生息適地復元の最優先候補地にあげられる。
緑の回廊での生息適地の連結
生息適地マップを活用し、保護区を拡大する
剣山系には環境大臣が指定する国指定鳥獣保護区(赤枠)が、11,817ヘクタール設置されている。橙色の丸で囲んだエリアは現在、鳥獣保護区に設定されていないが、まとまった面積の生息適地が保護区に隣接している。今後、保護区の拡大などを検討する際に重要な候補地となる。
鳥獣保護区の拡大の候補地
>>> 目次
行政への提言書
フィールドプロジェクト担当者からの言葉
認定NPO法人四国自然史科学研究センター 研究員 山田孝樹さん
四国地方のツキノワグマは生息数が非常に少なく、絶滅の危険性が非常に高い状態にあります。環境省のレッドリストに「絶滅の恐れのある地域個体群」として記載されているにもかかわらず、科学的な情報が不足していて、保護活動がなかなか進展しない状況がありました。そんな中、2012年からWWFジャパンと4年間にわたり共同プロジェクトを実施し、四国のツキノワグマの現状を調査し、その結果から保護に向けた提言を行ないました。
今回のプロジェクトでは、予算や人手不足などの理由によって、これまで実施することができなかった調査を実施することができました。その結果、堅果類の資源量マップや生息適地マップを作成することができ、科学的な情報を基に効果的な保護策の提言を行なうことができました。
ですが、提言だけでは四国のツキノワグマを守ることはできません。今後、提言内容が保護施策に活かされていくことが必要です。
四国のツキノワグマは絶滅の危機に瀕していますが、社会的な関心が高いとは言いにくい状況です。そうした状況では、国や県などが積極的に保護活動を進めていくことは難しく、社会全体で保護活動の後押しをすることが必要だと考えています。四国地方のツキノワグマの絶滅回避のための活動はまだまだ道半ばです。本プロジェクトは終了しますが、これからも活動は続いていきます。皆様の温かいご支援をいただければ幸いです。
最後に本プロジェクトを支え、いつも応援してくださった皆様にお礼申し上げます。