シリーズ:クマの保護管理を考える(1)島根県 最前線の現場から
2011/10/11
「絶滅のおそれのある地域個体群」として、環境省に指定されている西中国山地のツキノワグマ。その生息域は島根・広島・山口県をまたいで広がっているため、3県では共通の目的を持った「特定鳥獣保護管理計画」を策定し、クマの保護管理に取り組んでいます。今回は、島根県の担当者として最前線で活動する島根県中山間地域研究センター農林技術部の鳥獣対策グループ主任研究員・澤田誠吾さんに、クマの現状、そして県の取り組みをうかがいました。
西中国地域のツキノワグマ
日本に生息するツキノワグマの中には、その生息地が分断され孤立している個体群があります。
このように孤立した個体群は、「遺伝的多様性の減少」、「有害捕獲等による個体数の減少」などの危険があり、個体群を維持できないおそれがあります。
環境省から「絶滅のおそれのある地域個体群」として指定されていてるツキノワグマの個体群は全国で6つ(その中でも九州の個体群は絶滅したと考えられています)ありますが、西中国山地の個体群もその中の1つに数えられます。
この個体群は、島根・広島・山口の3県にまたがって生息していますが、クマにとって人間が決めた県境など関係ありません。クマの行動範囲は広く、その生息域が県境をまたいでいることも珍しくありません。
そこで、西中国地域の3県は、1993年~1997年に「ツキノワグマ保護管理計画」を策定するなど、全国的にみても比較的早くから保護管理に取り組んでいます。
なお、3県では環境省の省令により1994年から狩猟が禁止され,個体群の存続を図る措置が積極的にとられてきました。
このような取り組みもあいまって、1998年~1999年に行なわれた調査では、クマの推定生息頭数(中央値)が約480頭、生息域が5,000平方キロメートルだったのが、2009年~2010年に行なわれた調査では、約870頭、7,700平方キロメートルと回復傾向にあります。
第1回調査 | 第2回調査 | 第3回調査 | |
---|---|---|---|
調査期間 | 1998~1999年度(H11~12) | 2004~2005年度(H16~17) | 2009~2010年度(H21~22) |
推定個体数 (西中国山地 脊梁地域) |
161.0頭±68.8頭 | 154.0頭±63.8頭 | 203.0頭±97.9頭 |
平均推定生息密度 (標準偏差) |
0.31±0.13頭/km2 | 0.29±0.12頭/km2 | 0.39±0.20頭/km2 |
生息域面積 (恒常的生息地) |
5,000km2 | 7,000km2 | 7,700km2 |
推定生息頭数 (中央地) |
約280~680頭 (約480頭) |
約300~740頭 (約520頭) |
約450~1290頭 (約870頭) |
クマの錯誤捕獲と住民感情
クマの狩猟が禁止されている島根県で、最も悩ましい問題の1つが「錯誤捕獲」。「錯誤捕獲」とは本来捕獲しようとしている動物以外の動物を捕獲してしまうことです。
島根県では、イノシシとクマの生息域が重なっているため、イノシシを捕獲しようとして仕掛けた「箱ワナ」や「脚くくりワナ」で、クマを捕獲してしまうケースが相次いでいます。2003年~2010年に捕獲したクマの年間平均頭数は63頭ですが、錯誤捕獲が占める割合は55%にも上ります。
このため澤田さんたち担当者は、「イノシシ用の箱ワナにクマが入ってしまっても、クマが逃げ出すことのできる出口(脱出口)を予め作ってください」と指導をしています。一方、脱出口がないイノシシ用の箱ワナで、クマが捕獲されてしまうケースが後を絶ちません。これはワナを仕掛けた人間にとっても、ワナで捕まってしまったクマにとっても不幸なできごとです。
余談ですが、イノシシ用の箱ワナに入り、エサだけを食べて脱出口からまんまと逃げおおせる「食べ逃げ常習犯」のクマのことを「トラップ・ハッピー」と言うそうです。その反対に、一度捕獲されてそれに懲り、なかなか捕まらないクマのことを「トラップ・シャイ」と言うそうです。いろいろなクマがいるものですね。
このような「錯誤捕獲」がおこった場合には、原則として捕まえた本人がクマを放す(放獣する)ことに、「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」で決まっています。
ところが、島根県では、クマを「錯誤捕獲」した本人に代わって、澤田さんたち県の担当者が放獣をしようとしても、地域住民がそう簡単に放獣させてくれないことが多いといいます。
クマは果樹園や庭先のクリやカキなどを食べ荒らします。また、島根県の一部の地域では民家の軒先に、丸太をくり抜いて作った「蜜胴」をミツバチの巣箱にして養蜂を営む伝統がありますが、その蜜胴もクマの被害にあうのです。
そして、何より力が強く鋭いツメとキバを持つクマは、人身事故を引き起こすことがあります。「被害を出さなければ、クマがいてもいい。でも、クマは被害を出すので、百害あって一利なしだ」地域住民の言葉です。
このように、この地域の住民にとって、クマは邪魔者であり怖い存在なのです。高齢化が進み、十分な体力のないお年寄りが多い山村では、よりクマを嫌悪する傾向があるのです。
鳥獣専門指導員(通称:クマ専門員)の努力
このように、錯誤捕獲の場合には放獣しなければならないという法律上の決まりがあっても、地域住民がそう簡単に納得してはくれません。
「なんで、せっかく捕まったクマを放すんだ!もし、放したクマが事故や被害を起こしたら、あんたらが責任取ってくれるのか!」住民に激しく詰め寄られることがよくあると、澤田さんは苦笑しながら語ってくれました。
そんな住民との軋轢(あつれき)を乗り越えて、島根県では、鳥獣専門指導員の配置、毎年の吹き矢・麻酔銃研修の実施、放獣の際に使用する機材の整備など、錯誤捕獲対応に取り組んでいます。
島根県で、鳥獣専門指導員の配置が行なわれるようになったのは、2004年からでした。クマの出没が多い県西部の3地域事務所に各1名の鳥獣専門指導員が配置されたのです。
鳥獣専門指導員は、各地域においてクマの被害対策の指導、住民への「クマの生態」や「誘引物の除去」などについて普及啓発を実施しています。また、イノシシ捕獲用のワナに錯誤捕獲されたクマの放獣作業も行なっています。
クマが出没したとき、クマの錯誤捕獲があったときなど、いち早く現場に駆けつけて、住民とコミュニケーションをとり、軋轢の解消に取り組みます。
「私たちが、すぐに現場に駆けつけることが何より重要です。住民はクマが近くにいると知って不安になっています。そんなとき、専門員がいると住民は安心するのです」と、島根県の専門員の金澤紀幸さんは話してくれました。
そして、住民とのコミュニケーションを常に心がけ、信頼関係を築くことで、いざクマが出没したとき、住民からの理解がスムーズに得られ、放獣などクマへの対応がしやすくなるとも話してくれました。
学習放獣の実施
放獣の際には、クマが再び人里に近づかないよう「集落・人間は怖いものだ」とクマに学習させて放獣する必要があります。
専門員と県担当者は、捕獲されたクマを一時的に眠らせて、クマの記録をとり、個体の識別ができるようにマーキングして、移動用のドラム缶の中に移し変えます。その後、クマが入ったドラム缶を叩いたり揺すったりして、クマを脅かすのです。
その後、放獣を行ないます。これを「学習放獣」と言います。その効果についてはさまざまな評価があるようですが、クマが人間に慣れる前なら、人間に対する恐怖感を徹底的に植え付けることで、効果が期待できると指摘する専門家もいます。
島根県の場合、2003年度~2010年度の間で、捕獲後に学習放獣をされたクマが、再捕獲された確率は18%しかいなかったとのことです。「学習放獣」が成果を上げているといえるでしょう。
島根県では、鳥獣指導専門員の配置、適切な技術指導と装備の充実、そして何より彼らのたゆまぬ努力により、2003年度から時間をかけて錯誤捕獲に対する放獣をほぼ100%実現できているといいます。もちろん、澤田さんや鳥獣指導専門員の活動は放獣だけにとどまりません。
■島根県において「学習放獣」を行なったクマの頭数と割合の推移
クマによる被害を防ぐために
2003年度から緊急時の貸出し用の電気柵セットを、県内の6地域事務所(隠岐を除く)に配備。カキや「蜜胴」に被害が発生した場合、1ヵ月間無料で貸し出しを行っています。当初各事務所に配備された電気柵セットは2~5基でしたが、クマの出没に対応して設備を増強し、今では20基まで増やした事務所もあります。
さらに、2005年度~2006年度には集落周辺の山際に、ネットタイプとリボンワイヤータイプの電気柵を設置。益田市匹見地区には約8キロメートル、浜田市弥栄地区には約3.5キロメートルもの長さの電気柵によって、クマをはじめとする野生動物の侵入を防ぎ、被害を出さないよう根本的な対策にも取り組んでいます。
澤田さんたち担当者は、電気柵の設置後の2007年、設置した集落の住民にアンケート調査を実施。その効果を検証しました。その結果、設置後にはクマの出没と被害が減少していることが確認され、電気柵はクマの進入を防ぐ高い効果があることが実証されました。
一方で、電気柵が途切れた場合、その箇所を完全に補修しなければならないこと、住民は電線の電圧を十分に保つために必要な下草刈りを負担に感じていることも課題として浮かび上がりました。クマの進入防止のために有効な電気柵ですが、その効果を持続させるためには、住民自らの手による適切な維持管理が必要です。
クマの害を防ぎつつも、その保護を実践してゆくには、まず整った対応のための体制と、行政側のサポート、そして住民の方々の協力が、欠かせないのです。(次回に続く)
参考情報