シリーズ:クマの保護管理を考える(8)当たるか、マタギの勘?クマ大量出没の可能性


2012年7月、東北地方のブナの秋の結実予測が発表されました。例年より明らかに実りが少ないというこの予測は、ブナの実を主要な食物とするツキノワグマの行動にも大きな影響を及ぼす可能性があります。食物不足のクマたちは、果たして集落や町へ「大量出没」するのか。クマの現場を知る研究者と、伝統狩猟者「マタギ」の方々の見立ては?

大量出没の予想を占う?ブナの結実予測

東北地方におけるブナの実の豊凶予測をしている東北森林管理局(国の研究機関)から、2012年7月31日、秋のブナの結実予測が発表されました。

同管理局では、毎年、福島県を除く東北5県、145カ所の観測地でブナの開花及び結実の状況を定点観測していますが、2012年の初夏のブナの開花状況から推測した秋のブナの結実は、「岩手、秋田、山形の3県で『皆無』」、「青森県は『凶作」」、「宮城県は『並作』」という結果になりました。

ご存知のとおり、ブナの実は秋季のクマにとって冬眠の準備のための重要な食料となります。

近年、秋季におけるクマの食物不足と、人の生活エリアへのクマの出没との関係が指摘されていますが、同管理局の豊凶予測などから、今秋はクマの大量出没が発生する可能性がありそうだという声が、研究者から出てきています。

実はこの発表から遡ることひと月前の2012年6月、岩手県遠野市で開催された「第23回ブナ林と狩人の会:マタギサミット」において、同様の推測が指摘されていました。

「マタギ」とは、古くから狩猟にたずさわってきた、東北を中心とした地域に在住する狩猟者(ハンター)のこと。マタギサミットは、年に一度、秋田県、新潟県、長野県など中部・東北地方の豪雪地帯に点在する伝統的狩猟集落の猟友会員などが集う交流会です。

2012年は狩猟者を中心に、一般参加者を加えて187名が参加し、『今、東北の自然はどうなっているのか?』をメインテーマにツキノワグマやシカ(ニホンジカ)を中心とした野生動物の動向について、現場レベルでの報告が行なわれました。

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秋田県鳥海山麓に広がるブナの森と
クマ注意看板

また、続いて行なわれたパネルディスカッションでは、東北各地の猟友会からパネラーが参加。「春以降、東北地方ではクマの目撃情報が倍増している」という現状を受け、急遽、「今秋、クマの大量出没は起こるのか?」をテーマに、『狩猟者としての視点から』の意見が交わされました。

数多く山野に分け入り、肌で自然の変化を感じ取っている狩猟者の方々。各地からの報告では、クマの目撃数は増加の傾向にあり、なかでも各地に共通の傾向として、山を歩いていてもブナの花がほとんど見られず、この秋のブナの結実は期待できないだろうということでした。
これは、東北森林管理局が発表した予測とほぼ同じです。

ミズナラやコナラ、さらにはヤマブドウやサルナシなど、秋の山にはブナ以外にもクマの食物となる木の実はあります。一方、主要な食物であるブナの実の豊凶は、クマの行動に大きな影響を与えると狩猟者はいいます。ブナの実の凶作が予想されることから、今秋は狩猟者の経験から見てもクマの出没が多くなる可能性が高い、という結論に達しました。 

なぜクマは里に現れるのか?

ところで、ここで一つ疑問が生じます。
先のマタギサミットでは、春から初夏までの間に里に出没したクマの報告例がありました。
近年の調査によれば、クマの人里への出没は、毎年、山林に食物の少なくなる夏をピークに発生する傾向があります。

通常であれば秋になってブナやミズナラなどが実り、食物の増加とともに人里への出没も少なくなるところですが、食物不足で秋になっても出没が収まらず、また、さらに出没が顕著になることがあります。

これが昨今巷を賑わせているクマの「大量出没」です。

ブナの実の豊凶が注目されるのは、秋季におけるクマの食物不足が出没という現象に大きく関わっていることに依ります。

疑問というのはこの「食物不足」のことです。
春から夏の食物不足を経て、秋のブナの実の凶作がクマの出没を促すという理屈は素直に頷けます。

ただし、ブナの実に限らず、クマの食物が多い、少ないという現象は今に始まったことではないはずです。おそらくは数万年前から自然界のサイクルの中で凶作と豊作が繰り返されてきたことでしょう。

にもかかわらず、クマの大量出没という現象が社会問題として誌紙を賑わすようになったのは近年に入ってからのこと。せいぜいここ10年の出来事です。

食物不足が遥か昔から連綿と続いてきた現象だとすれば、クマが人里へ現れる理由を食物不足だけに求めるのは少々乱暴ともいえます。

特に、大量出没に限って言えば、ここ10年で顕在化した新しい現象ですから、この10年というごく限られた期間に、これまでにはない新たなことが起きていると考えるのが自然と考えられるでしょう。

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岩手県遠野市で開催された「第23回ブナ林と狩人の会:マタギサミット」

食物目当てではない? 里におりてくるクマの目的

山で一体何が起きているのか?この疑問について、マタギサミットの提唱者で、東北文化研究センター所長、東北芸術工科大学の田口洋美教授は、「食物不足がクマ出没の理由だとしても、それはいくつかある理由の一つでしかない」と言います。

田口教授は、人類の進化史と環境の問題、とくに狩猟採集文化の研究者で、中部・東北地方の伝統的狩猟集団であるマタギや、極東ロシアの先住民族などについて長く調査、研究を続けています。

自らが現場に行き、可能な限り長期間滞在しながら猟師や住民と行動を共にし、情報を収集する田口教授は、自然と深く関わって生活する人々の民俗知(民族知)を基礎とした野生動物の保護管理問題にも関わるなど、日本の野生動物の現状などについても深い知識を持っている方です。

その田口教授にクマの行動についてお話を伺いました。

「新聞やテレビのニュースを見ていると、クマの人里への出没について、食べ物がないから里に降りてくる、という説明ばかりが取り上げられています。ところが、実際に現場を訪れると、クマの出没理由を食物不足だけで説明するには難しいケースに出くわすことがあります。

例えば、つい先日も次のような事例がありました。クマが出没した場所を調査してみると、出没地のすぐそばの竹藪に大きなクマの糞がありました。その竹藪には食べごろのタケノコがたくさん生えていたのですが、クマはそれらに一切手を付けることなく糞だけして立ち去り、民家の横をすり抜けて国道を横切って山に入っていきました。妙な話です。

もしも本当にクマが食物を求めて里に出没したのであれば、食べごろのタケノコに手を出さないというのは考えにくいのです」

竹藪の糞の中には、山菜のフキや山のさくらんぼの種が大量に含まれていたそうですが、山に食べるものがないのであれば、大きな糞をすること自体が難しいでしょう。

もちろん、一日前に食べたものをたまたまそこで排泄したということも考えられますが、犬の数倍も鼻が効くと言われるクマが食物を求めて里に降りて来ていながら、すぐ横に生えているタケノコに気づかないということがあるのでしょうか。

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竹藪に残されていたクマの糞。タケノコではなく、フキやサクランボの種が大量に含まれていた。

クマの人里への出没は、複数の要因が重なった結果起こると言われていますが、竹やぶに現れたクマも、「食べ物以外の要因」があって里に降りてきた、と考えるほうが自然です。

では、食べ物以外にクマが里に降りてくる理由とは何なのでしょう?

「たとえばこんな例があります。
6月の中旬頃から7月にかけて、クマたちは交尾期に入ります。
交尾期の雄グマには子殺し行動と呼ばれる習性があり、仔グマを連れた雌グマを見つけた雄グマが、仔グマを食べてしまうことで、雌グマの発情を促して交尾を果たす、という行動をとることが知られています。

これは、マタギたちにとっては常識となっているクマの習性で、仔グマを連れた雌グマは子殺し行動を回避するため、雄グマに会わないように通常とは異なる行動パターンをとるようになります」と、クマの習性について説明する田口教授。

食物を求めてさまようクマと同様、クマの行動範囲が拡大すれば、それだけ人里に現れる可能性も大きくなることは容易に想像できます。

かなり希なケースだとは思いますが、食物の有無に関わらず、クマの行動範囲が広がって里に出没する要因としては納得のできる話です。

「ただし、この交尾時期の行動にしても、食料問題と同様に昔からあることで、なぜクマの出没がこの10年間に顕著になったのかということの説明にはなっていません」、と田口教授は話を続けます。

「クマの生活域と人間の生活域というのは非常に重なっています。野生動物の中でも、クマという生き物は人間の生活様式の影響を最も受けやすい動物の一つで、里におけるクマの行動はすべて人間の影響下にあるともいえるでしょう。

例えば、日本ではクマは夜行性だという話があります。ところが、お隣のロシア極東の先住民族は、クマは日中に行動しているといいます。この違いは次のように考えることができるでしょう。日本に生息しているツキノワグマは、農耕を営む人間との関係など、日本特有の要因によって、夜間に行動した方が有利であった。その環境に適応してきた結果、夜間から早朝に行動をするようになった、と。まぁ、これは今後の研究課題でもありますが。」

人間の行動にクマが対応をする。たしかに、クマの変化の要因が人間の側にあるとすれば、この10年の間にクマの行動を変える何かしらの変化があっても不思議ではありません。

変化する野生動物と人間の関係

では、その人間側の変化とは何か。
田口教授はそれを、野生動物に対する人間の圧力(プレッシャー)だといいます。

「山と里の接点である中山間地域での人間の営みの急速な崩壊。これが野生動物への圧力を弱め、そのことがクマの出没の大きな要因の一つになっていると考えられます。

ついひと昔前まで、日本の中山間地域では、農耕を基本とした生活が営まれていました。人間はサルや野うさぎ、イノシシなどの野生動物から農作物への被害を防ぐために鳴子を下げ、案山子を立て、防鳥ネットを張り、時には罠を仕掛け、弓や銃を使って追い払いを行なってきました。

農作物を作る人々のこうした行動は、自らの生活の領域を保持するためのものであり、『人間がここに居るぞ』という野生動物たちへの縄張りの主張でもあったのです。

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マタギサミットで司会進行を務める
田口洋美教授

こうした人間の伝統的な暮らしの知恵は、野生動物にとって少なからず圧力を与えていたことでしょうし、それはまさしく『人間という動物』の縄張り表現だともいえるでしょう。」

長きにわたって効果を発揮していた人間の縄張り表現も、中山間地域での急速な高齢化や過疎化に伴ってその効果を失うこととなりました。

それまで利用されていた里山の薪炭林や集落周辺の耕作地が放棄されると、野生動物の側の人間に対する警戒も薄れて、人間の圧力から解放された野生動物たちは、「ここは自分たちの場所にしてもいいんだ」と、より自由に行動するようになった、と田口先生は説明します。

さらに、見落としがちな点として、集落で飼っていた犬の存在も野生動物への大きな圧力になっていたと話を続けます。

「かつて、集落において、犬は放し飼いが基本でした。集団行動をとる習性をもつ犬たちは自ら集団化して縄張りを持ち、集落の周辺に現れる野生動物を追いかけて圧力をかけていたのです」。

人間は遥か遠い昔からパートナーとして犬を飼って暮らしてきました。当然そこには「ペット」としてではなく、「番犬」としての要素が強く存在していたでしょう。現代のように鎖につながれていては、吠えたてるのが精一杯でネコ一匹、ネズミ一匹捕まえることなどできません。

ましてや、室内で飼われるのが珍しくなくなった今の時代では、犬による野生生物への圧力は失われてしまったとも言えるでしょう。

「放し飼いの犬が一匹、二匹いるだけではダメです。群れをなして行動するからこそ自分たちよりも大きなイノシシやシカ、クマなどに対しても脅威となるのです」

集団化した犬の存在が与える野生動物への圧力。かつては一般的であった犬の放し飼いという習慣にはそんな効力があったそうです。もちろん、現代においてもその効果は有効なはずですが、「誤って人を噛んだらどうするのか」、「犬が吠えてうるさい」、「畑が荒らされる」など、効果以前に「犬の放し飼い」という行為に対して地域社会の理解を得るのが難しい時代になってしまいました。

「世界中の狩猟採集民、農耕民のいる国家で、犬の放し飼いを禁止している国家はめずらしいのです。都市部での放し飼いの禁止は多くても、農耕地域や自然が残る狩猟採集民がいるような地域での放し飼いは当たり前なこと。日本においても人間の生き方の多様なあり方に即し、地域ごとに柔軟性のある制度をつくる必要があります」

私たちに必要とされているのは、「都市の理論」で地域を見ないこと。そして、「地域の現実」をきちんとした眼差しで見つめ、今何が本当に必要とされているかを見極めて行くことでしょう、と田口教授は指摘します。

これら一連の田口教授のお話を伺って、今後はクマの食物の豊凶状況に気を配りつつも、中山間地域の崩壊に代表される人間側の変化を再検証していく必要性が今後ますますたかまるといえそうです。

田口教授は最後に、人里への出没はクマに限ったことだけではなく、イノシシやシカ、サルなどの他の野生動物の動きと同時に進行していること、そして、クマの出没問題は野生動物全般の動きと、私たち人間社会の急激な変容の両方の論理から同時にアプローチしていかなければならない課題であることを指摘されました。

どうやら、近年顕著になっているクマ出没対策のカギも、中山間地域の再生という課題の中に隠れていそうです。

いずれにしても、2012年は春から夏までの食物不足が確認されており、東北森林管理局の科学的なデータも、東北各地で活動する猟師たちの勘も、共に秋季のブナの凶作を予測しています。

秋の大量出没には十分な警戒が必要でしょう。
もちろん、クマにとっても人間にとっても、予測が当たらないに越したことはないのですが。

 

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