シリーズ:クマの保護管理を考える(13)国有林とツキノワグマ 四国山地での新たな挑戦
2013/11/20
「山おやじ」クマをこんな愛称で呼ぶ地域もあるそうです。クマは日本の森林生態系を代表する動物。日本の森にクマが生息しているということは、それだけ豊かな森が残っている証拠だといえるでしょう。しかし、四国の剣山(つるぎさん)山系に生息するツキノワグマは多くても数十頭とされ、絶滅が危惧されています。その生息地の一部となっている国有林で、森林の整備に取り組む林野庁四国森林管理局の島内厚実さんに、お話しを伺いました。
四国ツキノワグマ調査の空白地帯
「これが、今年設置した自動撮影カメラの写真です。写っているのはシカやイノシシが多いですね。カモシカも写ってます。残念ながら、クマはまだですが...」
島内さんとのお話は、こんな言葉から始まりました。
地元の木材で作られた机の上に並べられた写真は、いずれも2013年6月に設置した自動撮影カメラで撮られたもの。すでに8月、9月に画像回収を行なったそうです。
このカメラが設置されている場所は、四国山地の東部、高知県と徳島県にまたがって広がる剣山(つるぎさん)山系。
裾野から山奥まで人工林が続くものの、標高1,000メートル以上の高地には、ブナやナラなどの落葉広葉樹林が残り、ここが多くても数十頭と推定される、四国のツキノワグマにとって現在唯一の生息地となっています。
この剣山山系で、WWFジャパンは四国自然史科学研究センターと共に、2005年から四国のツキノワグマの調査を実施してきました。2012年からは、今までの調査を拡充した4年間のプロジェクトを開始しました。
プロジェクトが調査の対象にしてきたのは、クマの生息が確認された剣山山系の中央部に広がる落葉広葉樹林帯が中心。広大な剣山山系全体をカバーすることは、出来ませんでした。
したがって、剣山山系には他にも、「このあたりもクマの行動域ではないのか?」そう考えられる地域が存在したのです。
その一例が、剣山山系の北部に位置する、矢筈山(やはずやま:標高1,848メートル)や烏帽子山(標高1669メートル)などの連峰でした。実際、これらの山々の標高の高い地域にも、落葉広葉樹林が残存しており、クマが生息している可能性が指摘されてきました。
今までほとんど調査の手が入らなかったこの地域に、調査用の自動カメラを設置したのが、島内さんでした。
現在、四国のツキノワグマが生息している森の多くは国有林ですが、これを管理しているのは、林野庁の四国森林管理局。島内さんは現在、その計画保全部計画課長として、仕事をしています。
今のところ、まだ国有林内に設置された自動撮影カメラは、クマの姿を捉えていません。なにぶん、数の少ない四国のツキノワグマです。しかし、今後はさらにカメラの設置台数を増やして、調査を拡充していく予定だとのことです。
- ※森林管理局や国有林については【参考情報】をご覧ください。
島内さんのチャレンジ精神
「いいことには、どんどんチャレンジしていきたいですね」
島内さんとお話していると、よくこんな言葉が飛び出してきます。
「職員も時間が許す限り、現場を歩いて、自分たちが管理する森がどのようなものであるか、肌で実感することが重要だと思っています」
職員の多くは、大学や農林高校などで森林科学を学び、就職する段階では自然科学についての素養を持っていたはずだ。けれど、職務経験を積むにつれ、森林そのものよりも制度上の位置づけなどを重視する傾向になる。このような思考パターンから生まれた対処方針は、しばしば森林の現状にそぐわないこともあるのではないか。島内さんはこのように考えることがあるそうです。
国有林でも野生動物の調査などを行なっていますが、調査の規模が大きいこともあり、外部のコンサルタントなどに委託する場合が多いそうです。
しかし、今回の自動撮影カメラの設置は、「現場を自らの足で歩く」という意識のもとで、職員自らの手で行ないました。
そして、クマの自動撮影については十分な知識がないので、より良い方法について、是非アドバイスがほしい、と求められました。
「ご意見やアドバイスがあれば、どんどんください」
この言葉は、島内さんが以前、自然保護団体や地域住民と共に取り組んだ、あるプロジェクトの貴重な経験から出たものでした。
群馬県北部に位置する国有林「赤谷の森」で展開されている、「AKAYAプロジェクト」です。
この「AKAYA(赤谷)プロジェクト」は、約1万ヘクタールにおよぶ国有林を対象に、林野庁、日本自然保護協会、地域の住民組織の、立場の異なる3つの主体が協力して、生物多様性の復元と、持続的な地域づくりを進める取り組みです。
変化する国有林へのニーズ
2004年に始まったこのプロジェクトは、大きな注目を集めました。というのも、1980年代~90年代に白神山地や知床などの国有林を巡って、「開発か保全か」で対立していた林野庁と自然保護団体が、共同で国有林を管理するという、かつてない試みであったためです。
「赤谷の森」でも、かつてスキーリゾートや多目的ダムなどの開発事業が計画されていましたが、1990年代から始まった住民の反対運動などにより、2000年に相次いで中止となりました。
その後、かつて対立していた利害関係者が手を携えて、残された自然を回復・活用していく新たな挑戦が始まったのです。
島内さんは、プロジェクト発足当時から林野庁職員としてこのプロジェクトに携わり、林野庁の現地機関としてプロジェクトを推進する「赤谷森林環境保全ふれあいセンター(現在:赤谷森林ふれあい推進センター)」の初代所長として赴任しました。
島内さんは、当時の様子をこう振り返ります。
「時代と共に、国有林へのニーズは変化しています。『国民の森』である国有林は、多様化する国民のニーズに対応していかなければなりません。」
当時は、国有林の事業について大きな方向転換が行なわれた時代でした。
従来の木材生産の重視から、森林が持っている「公益的機能」を発揮する森づくりへの方向変換です。
しかし、こうした大きな方針の転換というものは、そう簡単に進むものではありません。
日本自然保護協会から「赤谷の森を舞台に自然の恵みをより豊かにしていく取り組みを、地域の人たちと一緒に始めませんか」という打診を受けたのは、島内さんたちが、そうしたさまざまな苦労を重ねている時でした。
島内さんいわく、「それは、私たちにとって壮大なプロポーズでした」。
全国でも初めての取組みでもあり、正直戸惑ったこところもあったといいます。それでも、島内さんたちは、この意欲的な試みに賛同することにしました。
「赤谷の森は、かつて森林の利用を巡って利害関係が対立した経緯があり、地域の中にシコリも残っています。課題山積で難しい挑戦でしたが、それだけにやりがいも感じました」
開始から10年経過した現在、AKAYAプロジェクトはその活動範囲をさらに広げ、多方面から評価を受けています。
そして、これをモデルプロジェクトとして全国各地に広げていこう、という動きも出てきました。島内さんは他でもない、それを推し進める林野庁職員の中の一人なのです。
四国の国有林とツキノワグマ
四国のツキノワグマが棲む剣山山系にも、国有林の森が広がっています。しかし、四国全体を見た時、森の現状がクマにとって良好なものといえるかどうかについては、疑問が残ります。
その理由は、四国ではスギやヒノキなど、クマの生息には適していないと考えられる人工林の割合が高いためです。
これは、四国ではかつて人々が山の奥まで分け入り、森を利用してきた結果だとも言えるでしょう。四国山地を歩いていると、山奥まで人家や畑があること、そして奥山の山頂付近までスギやヒノキの人工林が広がっていることに驚かされます。
そして、こうした人工林を広げてきた四国の森の歴史は、四国でツキノワグマが生息数と生息地を減らしていった過程と少なからず重なります。四国のクマは、人工林のスギやヒノキの樹皮を剥がす害獣として、駆除されてきた歴史もあるのです。
現在、四国の剣山山系では、7カ所が保護林として指定され、その保護林を繋ぐ「四国山地緑の回廊剣山地区」が設定されています。
回廊の幅は約2キロメートル、延長は約58キロメートルで、保護林と緑の回廊を合わせた保護林ネットワークの面積は約1万ヘクタールとなっています。
生息数十数頭とも推測される四国のツキノワグマは、いわばこの保護林を含めた剣山の山頂付近に残る、ブナやナラなどの落葉広葉樹林帯に、閉じ込められるように生息しているといえるかもしれません。
四国自然史科学研究センターとWWFジャパンが、これまで共同で行なってきたクマの追跡調査の結果、四国のクマはメスで約4,500ヘクタール、オスでは約1万5,600ヘクタールの行動圏を持つことがわかっています。
四国のクマを絶滅から救うためには、どの程度の面積の森林が必要か、基礎的なデータが不足している現時点で、明確な答えは出ていません。
しかし、四国自然史科学研究センターによれば、今までに確認されたクマの恒常的な生息域は、剣山山系中心部だけでも約5万ヘクタールにおよぶといいます。
そして、現存する落葉広葉樹林だけでは、四国の森でツキノワグマが安定的に生存していくには、面積が明らかに足りないというのが、専門家や関係者の共通した見解です。
この地域に残された落葉広葉樹林は、優先的に保護していく必要がある、としています。
そして、これらの落葉広葉樹林は、多くが国有林で占められています。
四国のクマを守り、その生息地を整備してゆく上で、国有林が貢献できる可能性は大きいと言えるでしょう。
クマの生息地としての森林整備
その可能性と期待を受けて動き出したのが、島内さんたちでした。今回の自動撮影カメラの設置は、その第一歩です。
剣山山系北部の落葉広葉樹林でもクマの生存が確認されれば、その国有林を保護林として指定する有力な材料となります。
そして、北部に保護林を新設し、中央部にある既存の保護林と「緑の回廊(コリドー)」で繋げば、落葉広葉樹林帯の保護林のネットワークを拡大することが可能になるでしょう。
これは、生息地の狭小さが指摘されてきた四国のツキノワグマにとって、非常に大きな意味を持つ取り組みとなるはずです。
さらに、保護林ネットワークの拡大のみならず、人工林を少しずつ自然林へと戻す方向性も模索されています。
例えば標高1,000メートルを超える高い場所にある人工林については、間伐を繰り返して林の中に光を入れ、ブナなどの広葉樹の芽生えを促し、自然林に少しずつ戻していこうという試みが検討されています。
これらはいずれも、ツキノワグマを森の指標つまり「アンブレラ種」とした、豊かな森づくりを目指す取り組みです。
「アンブレラ種」とは、生存していくために広い生息場所と、多様な環境を必要とする種のことです。
このアンブレラ種が生息できるよう環境が保全できれば、それはさらに多くの種が生存できる豊かな環境が保全されたことを意味するのです。
身体も大きく、森の豊かさに頼って生きるクマが、まさに「山おやじ」と呼ばれるゆえんともいえるでしょう。
もちろん、その道のりは容易なものではありません。
四国では今、ニホンジカの増加によって、森林内の下草(下層植生)が食べつくされたり、立木の樹皮が食われて木が枯れてしまうといった、森林生態系の劣化が進んでいます。
そしてこの現象は、数少ない四国のツキノワグマの生息する剣山山系の森でも、深刻な問題となっているのです。
クマのための森づくりへの大きなチャレンジ
こうした問題を解消しながら、クマも棲める豊かな森を、どのように再生していくか。
そして、再生した森において人間と野生動物との距離を、どのようにして適度に保っていくのか。
それは、これからも考えていかなければならない重要な課題です。
森林管理局の机の上に広げられた四国の森林地図を見ながら、島内さんはポツリとつぶやきました。
「それだけ人が利用してきたということなんでしょうが、四国の山は人工林だらけですね。これじゃあ、ツキノワグマも棲みづらいはずだ。せめて、ツキノワグマの唯一の生息地である剣山山系には、ツキノワグマが棲みやすい森が広がっていて欲しいですね」
クマの生息地である落葉広葉樹林の保全と整備。
それは欠かすことのできない取り組みであり、また大きな困難を伴う試みでもあります。
しかし、島内さんはあくまでも前向きです。
「豊かな森を再生していく取り組みは、樹木の生長のようにゆっくりと進むものだと思います。間に合わない可能性もあるでしょう。しかし、四国のツキノワグマを絶滅の危機から救うため、関係機関が手を携えて、生息地管理に取り組むことには大きな意義があると考えています」
「山おやじ」ともいわれ、日本の各地の森の自然を象徴してきたツキノワグマ。
地域によってクマを取り巻く環境はさまざまですが、この国内最大の陸の野生動物との共存は、日本の人々や社会にとって、実現してゆかねばならない大きな課題です。
その課題に挑戦するための大きなチャレンジが、ここ四国で今、国有林の森を舞台に、ゆっくりながらも着実に動き始めようとしています。
関連情報
【参考情報】林野庁と国有林の保全
日本で一番、広く森林を所有している「山持ち」は誰でしょう?
答えは、「国」です。
日本の国土は、2/3を森林で覆われていますが、国が所有する、いわゆる国有林は、そのうちの約3割、国土の2割を占めます。
この国有林を管理しているのは、日本の林野行政全般を担当する林野庁です。
そして、林野庁は全国の国有林管理のための組織として、全国に7つの森林管理局(かつての営林局)と、98の森林管理署(かつての営林署)を持っています。
地方によって偏りはありますが、国有林は全国各地に存在しています。共通の特徴としては、地形の急峻な奥地の山々や河川の源流に分布していることです。したがって、自然林が比較的多く、野生動植物の生息地や生育地として重要な森林も多く含まれています。
国有林の管理経営は、時代の要請に応えながら変化してきました。
第二次世界大戦後には戦時中に乱伐され、荒廃した森林の整備に、そして1960年代前後の高度経済成長期には、木材の高い需要を受け、その供給に対応しました。この結果、国有林の約3割が、スギやヒノキを中心とした人工林として造成されたのです。
1980年代~90年代になると、多くの人々が国有林に対して「公益的機能」の発揮を求めるようになりました。
国有林の伐採を巡って「開発か保全か」で論争が起きたのもこの時代でした。
このような時代の背景を受けて、林野庁は1998年に国有林の管理経営の方針を「公益的機能の維持増進」へと大きく転換しました。
「公益的機能」とは、生物多様性やの保全や、炭素の蓄積、酸素の供給、土砂災害の防止、レクリエーションの場、そして水資源としての機能や水質の浄化など、多岐にわたる機能を含みます。
林野庁では、国有林の中でも特に貴重な森林について、区域を定め、伐採禁止などの管理を行なう、独自の「保護林制度」によって国有林の保全を行なっています。
こうした保護林はさまざまな目的で設置されます。
その中の一例が、原生的な自然林や貴重な野生生物の生育・生息地などを保全・管理するための保護林です。また、保護林と保護林を「緑の回廊(コリドー)」で繋ぐことで、より機能的に森林のネットワークを形成する取り組みも行なわれています。
こうした取り組みは、分断された森林を繋ぎ合わせることで、野生生物の移動経路を確保し、より広範で効果的に森林生態系を保全することをめざしています。
2012年4月1日現在、保護林は全国に843カ所にあり、総面積は約9,100平方キロとなっています。
また、これに併設されている「緑の回廊」は24カ所、総面積は約5,900平方キロで、両方を合わせると約1万5,000万平方キロ(岩手県の面積より少し小さい規模)の保護林のネットワークが設置されています。