シリーズ:クマの保護管理を考える(6)明らかにされる四国のツキノワグマの謎
2012/01/29
現在、四国東部の剣山山系の山奥でひっそりと暮らすツキノワグマ。その数は少なくて十数頭、多くても数十頭と推定され、地域個体群の絶滅が心配されています。NPO法人四国自然史科学研究センターでは、2002年から労力をかけた調査を継続。知られていなかった、さまざまなことを明らかにしてきました。前回に続き、同センターの研究員、山田孝樹さんにお話をうかがいます。
ほとんど姿を消してしまった四国のクマ
かつて四国の広い範囲に生息していたツキノワグマですが、現在は、東部の剣山山系の山奥にひっそりと生き残っているのみ。その数も少なくて十数頭、多くても数十頭と推定され、地域個体群の絶滅が心配されています。
原因の一つは、長く続いてきた狩猟による圧力です。
1930年代から四国ではクマに「害獣」としての懸賞金がかけられ、第二次世界大戦後の1960年代からも、捕獲が奨励されたため、1970~80年ごろには、クマの姿ほとんど見ることができなくなりました。
その中で、一つの転機が訪れたのは、1986年のことでした。一頭のメスのツキノワグマが、高知県の剣山山系の山中で捕獲されたのです。「まだクマがいた!」ということで、全国的にも話題になりました。
そしてその年、高知県はすぐにツキノワグマの捕獲を禁止。翌年には徳島県が続いてツキノワグマの捕獲禁止に踏み切りました。
【1940年のツキノワグマの生息状況】
高知県に3ヶ所(AとbとB)、徳島県に2ヵ所(Bとc)、愛媛県に1箇所(a)、ツキノワグマの生息地があったことがわかる。 *注:地図上では、剣山と石鎚山の表記が逆になっている。
引用: 岡藤蔵(1940)「四国に於ける熊の分布」 資料提供: NPO法人四国自然史科学研究センター
【四国におけるツキノワグマの捕獲数】
- 1930-1942年の13年間で147頭(11.3頭/年)
- 1959年-1985年の27年間で96頭(3.6頭/年)を捕獲
- 1972年愛媛県最後の捕獲記録
- 1978年徳島県最後の捕獲記録
- 1985年高知県西部最後の捕獲記録
- 1986年高知県東部(物部村)における最後の捕獲記録が欠落
四国の地域個体群の調査
しかしその後、10年近くにわたり、四国ではクマに関する情報が、ほとんどありませんでした。それでも、「クマが生存している」ということは、確かな事実と目されていました。
1993年~1996年、徳島県が生息調査を実施し、3頭のクマが捕獲され、追跡調査が行なわれました。この結果、徳島県内の剣山系に生息するツキノワグマの数は10数頭と推定されました。この時から、四国のツキノワグマの様子が次第にわかるようになってきたのです。
しかし、大きく状況が動くまでには、さらに10年の月日が必要でした。
2002年からNPO法人四国自然史科学研究センターが調査を開始。無人カメラを使って、クマの写真撮影に成功しました。そして、2005年からはWWFジャパンの支援によって調査を拡充し、2005年~2008年には6頭のクマを捕獲して個体情報を調べ、そのうち5頭について無人カメラ・ビデオ撮影とラジオテレメトリー法による追跡調査を行ないました。
調査の対象となった6頭のクマにはそれぞれ愛称がつけられました。その6頭を紹介します。なお、体重や推定年齢などの個体記録は、捕獲当時のものです。
【カンバ】 オス、72.5キログラム 推定年齢7歳 (2005年捕獲)
【ショウコ】 メス、44キログラム 推定年齢5歳 (2005年捕獲)
【ゴンタ】 オス、78.5キログラム 推定年齢7歳 (2005年捕獲)
【リュウ】 オス、38.5キログラム 推定年齢2歳 (2006年捕獲)
【テンク】 オス、93キログラム 推定年齢14~15歳 (2008年捕獲)
【ククリ】 オス、予定より早く麻酔から覚醒したため、発信機による追跡調査ができず
この捕獲された6頭の中には、左手の先がない、小柄なオスのクマが一頭いました。ククリと名付けられたクマです。原因については、先天的な異常によるものか、くくりワナなどの人為的な影響によるものか、わかっていません。
しかし、林業が盛んな四国では、害獣であるシカやイノシシを捕らえるために多くの「くくりワナ」が設置されます。このくくりワナは、踏み板を獲物が踏むと、ロックがはずれてワイヤーを引き、くくり輪を締め付ける仕組みになっています。このワナにツキノワグマが間違ってかかってしまう錯誤(さくご)捕獲の可能性があるのです。
くくりワナに掛かったクマが暴れると、足にワイヤーが食い込み、足が切断されてしまうこともあります。このような錯誤捕獲を防ぐためには、くくりワナの規制や、錯誤捕獲されたクマを速やかに放獣する体制が必要となります。
明らかになった5頭の行動圏と保護地域の拡大
2005年~2008年のテレメトリー法による調査で、5頭の行動圏が明らかになりました。いずれのクマもブナやミズナラなどの落葉広葉樹林を中心に活動していて、メスの行動圏は小さい(約45平方キロメートル)ですが、オスは大きな行動圏(カンバ・ゴンタ・リュウ3頭の平均:156平方キロメートル)をもつことがわかりました。
オスのテンクは、発信機の故障で記録を1カ月しかとることしかできなったため、オスにも係らず行動圏の記録が小さくなっています。
ちなみに山手線の内側の面積が約63平方キロメートルです。オスはその約2.5倍の行動圏を、メスは山手線の内側より少し狭い行動圏を、もっていることになります。
ちなみに、このクマたちが生息している剣山山系には、2つの保護地域があります。
環境省が設定した「剣山山系国指定鳥獣保護区」と、林野庁が設定した「緑の回廊剣山地区」です。
ところが、設定されている保護地域と5頭のクマの行動圏を重ねてみると、行動範囲の広いオスはいずれも大きく保護地域をはみ出して行動していることがわかりました。
そこで、2009年1月、四国自然史科学研究センター・WWFジャパン・日本クマネットワークは連名で、環境大臣、林野庁長官、そして徳島・高知・愛媛の3県知事に対して、国指定剣山山系鳥獣保護区をツキノワグマの行動範囲にもとづいて見直し、拡大することを求める要望書を提出。これは2006年の要望に続くもので、2009年の要望では2008年までの調査結果を受けて、より具体的な地域を指定して拡大を求めました。
その結果、2009年に剣山山系鳥獣保護区が更新される際、従来の保護区10,139ヘクタールに加えて、新たに1,678ヘクタールが追加・拡大されることが決まりました。
拡大された面積はわずかでしたが、要望どおり、ツキノワグマにとって重要な生息域の一部が、保護区域に新たに含まれることになったのです。これは、科学的な調査データを基にして実現した、ツキノワグマの保護へ向けての重要な一歩といえるでしょう。
愛称 | 性別 | 調査期間 | 行動範囲 |
---|---|---|---|
カンバ | オス | 2005年7月~2006年4月 2007年9月~2008年7月 |
約185km2 |
ショウコ | メス | 2005年9月~2008年7月 | 約45km2 |
ゴンタ | オス | 2005年7月~2006年4月 2007年9月~2008年7月 |
約168km2 |
リュウ | オス | 2006年8月~2007年7月 | 約114km2 |
ククリ | オス | 007年9月5日捕獲⇒放獣 | - |
テンク | オス | 2008年7月~2008年8月 | 約21km2 |
調査によって確認された、冬眠と出産
ほとんど知られていなかった、四国のクマの生態についても、さまざまなことがわかってきました。比較的暖かい四国での、クマが冬眠(冬ごもり)することも、初めて明らかになりました。
このトキの追跡調査によって、冬季まで追跡できた4頭、カンバ、ショウコ、ゴンタ、リュウについて、すべて冬眠をすることが確認できたのです。
すべてのクマは毎年、冬眠する場所(越冬穴)を変えていました。さらに越冬穴は、岩穴や土穴のものもありましたが、成獣のオスが利用する越冬穴は大木にできた洞(うろ)であることが多いことがわかりました。
オスグマはいずれも胸高直径1メートル以上の大木を利用していました。胸高直径とは胸の高さ(地上1.2メートル)で測った樹木の直径のことです。胸高直径1メートルの樹木なら、幹周りは3メートルを越えます。大人二人が手をつないで囲むことができる大きさです。そのような大木に成長するまでは、数百年かかることでしょう。クマが生息していくためには、このような天然の大木が必要なのです。
愛称 | 性別 | 確認できた 越冬期間 | 越冬穴 標高 | 越冬穴 タイプ | 利用樹種 | 胸高直径 |
---|---|---|---|---|---|---|
カンバ | オス | 2005年12月下旬~ 2006年3月4日 |
1,000m 付近 |
樹洞 | 針葉樹 | 130cm 以上 |
2007年12月下旬~ 2008年4月上旬 |
1,000m 付近 |
その他 | - | - | ||
ショウコ | メス | 2005年12月上旬~ 2006年4月下旬 |
1,000m 以上 |
その他 | 広葉樹 | - |
2006年12月上旬~ 2007年4月下旬 |
1,000m 以上 |
その他 | 針葉樹 枯木 |
- | ||
ゴンタ | オス | 2005年12月下旬~ 2006年2月下旬 |
1,000m 以上 |
樹洞 | 針葉樹 | 130 cm 以上 |
2006年12月下旬~ 2007年3月下旬 |
1,000m 以上 |
樹洞 | 広葉樹 | 100 cm 以上 |
||
2007年12月下旬~ 2008年3月下旬 |
1,000m 以上 |
樹洞 | 広葉樹 | 130 cm 以上 |
||
2008年12月下旬~ 2009年3月下旬 |
1,000m 以上 |
樹洞 | 針葉樹 枯木 |
100 cm 以上 |
||
リュウ | オス | 2006年12月下旬~ 2007年2月下旬 |
1,000m 付近 |
その他 | - | - |
さらに、2006年の冬季には越冬穴で仔グマを出産していることも確認されました。仔を産んだのは、追跡調査をしている5頭のクマのうち、唯一のメスであるショウコです。
当時、ショウコは推定年齢6歳。ツキノワグマのメスは一般的に4歳で性的に成熟すると考えられ、通常1回の出産で、2頭の仔グマを出産します。
2005年12月上旬、ショウコは越冬穴に入りました。この越冬穴で、ショウコは2006年2月上旬~中旬に出産したと考えられます。中から仔グマの泣き声が聞こえるようになったのです。
4月下旬には、ショウコが越冬穴から出て活動を開始するのが確認されました。それは、ほぼ山中の草木が芽吹く時期と一致していたそうです。4月27日には、無人カメラで仔グマの姿が撮影されました。これによって初めて、四国のツキノワグマが繁殖をしていることが確認されました。
問われる四国のクマと森の未来
生態に関する一連の調査結果に加えて、最近もう一つ、四国のクマについて驚くべき事実が明らかになりました。
遺伝子解析の結果、四国のツキノワグマは本州のツキノワグマとは異なる、独自の遺伝子タイプを持つことがわかったのです。別種とまではいきませんが、これは、四国の地域個体群が、早い段階で本州のクマと分化し、遺伝的にも独立性の高いクマとして、今日まで生きてきたことを示しています。
こうした面からも、四国のクマの希少さが、科学的にも明らかにされつつあります。
行動範囲や冬眠状況、繁殖、そして進化の経緯。これまで、ほとんどなにもわかっていなかった四国のツキノワグマの生態が今、次第に解明され始めています。
野生動物では、個体数が少ない個体群は絶滅しやすい傾向にあることが知られていますが、現在推定されている四国のクマの地域個体群の生息頭数は、少なくて十数頭、多くても数十頭とされています。
その生息域と重なる鳥獣保護区などの保護地域の合計面積は、1万1,817ヘクタール。同じく、「緑の回廊(コリドー)」やそれに連結した保護林の広さは約1万590ヘクタールで、計2万ヘクタール強です。
狩猟は現在禁止されていますが、今後ながくクマたちが四国で生きてゆく上で、こうした生息環境の保護状況は十分なものといえるのかどうか、その問いに対する答えは、まだ出ていません。
どうすれば、四国のツキノワグマ地域個体群が絶滅から救うこととができるか。
四国自然史科学研究センターの山田さんは、さらに調査を進めて基礎情報を蓄積し、その科学的根拠に基づいて具体的な提言をするべく、今日も四国の山深い調査地に通っています。