「つながり・ぬくもりプロジェクト」法人向け説明会を開催しました
2011/11/10
2011年3月11日の大震災を受けて、被災地に再生可能な自然エネルギーを届けようと、国内の多くのNGO/NPOが共同で立ち上げた「つながり・ぬくもりプロジェクト」。その活動は震災から7ヵ月を過ぎた現在も行なわれており、WWFジャパンも幹事団体の一つとして協力しています。被災した方々からは今も設置要望が続いていることから、つながり・ぬくもりプロジェクトは、10月25日、東京・港区のWWFジャパン事務局で、これまでの活動報告と、今後の支援を募るための法人向け説明会を開催しました。
被災地に自然エネルギーを届ける活動
かねてから自然エネルギーの普及を目指してきた団体が中心となって、2011年4月に被災地支援のために立ち上げた「つながりぬくもりプロジェクト」。同プロジェクトでは、被災地に再生可能な自然エネルギー(太陽光発電・太陽熱温水器・バイオマスエネルギー)を導入・設置することで、被災された方々の「生活支援」「安全の確保」「雇用の創出」をすすめてきました。
震災から7ヵ月を過ぎた現在も、まだライフラインの復旧が遅れている地域は少なからずあり、同プロジェクトの事務局には、多くの被災地から太陽光や太陽熱、バイオマスといった再生可能エネルギーをつかった発電システムや温水器、ボイラーの設置を求める声が届いています。
そこで、つながり・ぬくもりプロジェクトでは、半年間進めてきた活動の成果と、今後の展望について、法人の方々にご説明する機会を設けました。
10月25日の報告会当日は、プロジェクトの事務局を務めるISEP(環境エネルギー政策研究所)をはじめ、複数のNPOからこの半年間の活動について報告し、プロジェクトが太陽光発電設備の設置を支援した、宮城県漁協志津川支所運営委員の後藤清広さんにもお越しいただき、被災地からのメッセージもいただきました。
つながり・ぬくもりプロジェクトとは
まずは、同プロジェクトの事務局長を務めるISEPの竹村英明さんが、「つながり・ぬくもりプロジェクト」の概要に加えて、これまでの進捗状況を紹介しました。
10月21日現在、つながり・ぬくもりプロジェクトでは、543件に対し5,700万円余りの支援を行なっています。内訳は、太陽光発電123ヵ所、太陽熱温水器63台、バイオマス(薪ボイラーと薪かまど)4件です。
活動開始当初は、避難所など、電気がない所に電気を、ガスがない所にお湯やお風呂を届ける緊急支援活動が中心でしたが、現在は、被災者の方々の暮らしが営まれているところへ仮設住宅へ太陽光発電や太陽熱システムを設置することによって、光熱費負担を軽くする生活支援や、設置を地域の人たちにお願いすることで雇用を作る中期的な活動へと移ってきています。
将来的には、地域の街づくりの中に「自然エネルギーの活用」を織り込んで行くことや、地域で自然エネルギーを普及してゆく核となる人材の育成、および自然エネルギー産業の振興も目標にしています。設置を進めてプロジェクトの存在が知られるほど、現地ニーズも増え続けていて、10月現在、太陽光発電345ヵ所、太陽熱96ヵ所、バイオマス4ヵ所の設置希望が上がっています。仮にこれら全てに設置しようとすると、予算規模は約1億736万円にもなります。
10月現在、太陽光発電345ヵ所、太陽熱96ヵ所、バイオマス4ヵ所の設置が待たれていますが、仮にこれら全てに設置しようとすると、予算規模は約1億736万円にも至ります。
竹村さんは説明の最後に「自然エネルギーの未来、東北の復興への支援を考えてください」と語り、支援を呼びかけました。
自然エネルギー政策とビジネスチャンス
次いで、ISEP所長の飯田哲也さんが登壇し、「東日本震災と自然エネルギー政策、ビジネスチャンス」と題した講演を行ないました。
震災後の福島第一原子力発電所の事故に対する、政府の対応の遅さや対策の甘さを簡単に解説した後、化石燃料の抱える問題に言及。日本の化石燃料の輸入額は増加傾向にあり、今後も化石燃料の価格自体が上がってゆくにつれ、貿易収支もさらに悪化する現状に触れ、化石燃料を使用し続けることは、地球温暖化を促進するだけでなく、国の経済の面でも大きな問題であることを解説しました。
一方、世界における自然エネルギーの普及は、政策や政治の後押しにより、倍々で伸びてきていることを図示。日本にはこれまで、太陽光発電の余剰電力についてのみ、期間限定で買取するという不十分な制度しかありませんでしたが、2011年ようやく、全量の固定価格買取制度が成立しました。このため、来年からは太陽光だけではなく、他の自然エネルギーも買取制度の対象になり、ますます市場が拡大するだろうと飯田さんは予想しています。
また、東北地方における自然エネルギーのポテンシャルについても言及し、風力発電などが普及する余地は十分にあることを示しました。過去に行政主導で行なわれた自然エネルギー導入の失敗例を振り返り、その敗因の一つに、地域の中に柱となる人材が育っていないことがあると説明。他所からやってきた人が、ある日突然、設備を作るというやり方ではなく、10年、20年と時間をかけて地域に根を張り、地域の信頼を得ながら進めていくことが必要だと述べました。
この考え方は、つながり・ぬくもりプロジェクトにも通じているものです。地域に蒔いた小さな種を、支援者の皆さんと一緒に育ててゆきたい、と飯田さんは講演を締めくくりました。
つながり・ぬくもりプロジェクトの事例紹介
飯田さんの講演の後は、つながり・ぬくもりプロジェクトに参加している3つの団体から、支援した個別事例の紹介に移りました。
太陽光発電による支援
まず、自然エネルギー事業協同組合レクスタの代表理事である桜井薫さんから、太陽光発電の設置例について紹介がありました。児童74人と教職員10人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市の大川小学校では、校門前に設置された祭壇に照明を灯しました。
昼間はマスコミの取材が多いため、人目を避けて静かに夜間に祭壇に行きたいという要望が遺族の間にありましたが、集落の大半が流されてしまい、夜間は周囲が真っ暗闇になるため、訪れることができなかったそうです。つながり・ぬくもりプロジェクトを通して2台の街頭を設置したことで、暗くなってからも、気兼ねなく花を手向けに来られるようになったということでした。
このほかにも、岩手県陸前高田市や宮城県気仙沼市の避難所、また宮城県東松島市で震災の被害を免れた集落などに、太陽光パネルを設置してきました。
現在は復興に向け、岩手県大槌町吉里吉里地区の保育園、福島県南相馬市の障害者共同作業所、宮城県石巻市の漁協、造船所といったところにも支援を行なっています。被災した地域の方々からはさまざまな要望があるそうですが、中でも多いのが「街灯」のニーズだそうです。
仮設住宅への設置も望まれていますが、規模が大きいために手が届いていないのが実情だという桜井さん。仮設住宅に自然エネルギーが供給されれば、経済的に苦しい被災者の方々も光熱費の心配がなくなるため、生活支援に繋がります。ぜひ、支援を宜しくお願いします、という言葉で桜井さんはお話を終えました。
太陽熱温水器による支援
引き続き、太陽熱利用の普及に取り組むNPO、ぐるっ都地球温暖化対策地域協議会の会長、三井元子さんから報告がありました。
同協議会では、宮城県石巻市、東松島市、気仙沼市、名取市などの個人宅を含む避難所を中心に、太陽熱温水器を設置してきました。また岩手県住田町では、津波被害の大きかった陸前高田市と大船渡市の被災者の皆さんを受け入れた、110戸の仮設住宅に温水器を寄贈しました。
太陽熱温水器は、プレハブ住宅や、被災で倒壊を免れた強度の不安な屋根には載せにくいため、建物の脇の地面に設備を置くことも多かったそうです。しかし、住田町の仮設住宅はしっかりした木造住宅のため、問題なく屋根の上に設置できたということでした。
太陽のエネルギーをそのまま熱に変換して給湯や暖房として利用するため、太陽光発電に比べて太陽熱は4倍も効率が良いと言われています。また、パネルなどの設置面積やエネルギーコストも太陽光の三分の一にすぎないにもかかわらず、一般的に知られていないことが残念だと三井さんは言います。
更に、風力や地熱といった他の主な自然エネルギーと比較しても、世界全体で最も大きい設備容量(発電できる最大能力)があるとも解説。東北地域の日射量は決して少ないとはいえず、太陽熱を有効に利用できる地域だと説明しました。
協議会では、今後、仮設住宅が不要になった後の設備の再利用についても、今から考え始めているそうです。ビニールハウスの暖房や土壌の殺菌に使う農業利用、家畜の糞の発酵促進に使う畜産利用、などです。集合住宅などで既存の給湯器と併用することで、化石エネルギー利用の削減をすることも考えられるだろう、という説明がありました。
バイオマスによる支援
NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)理事長の泊みゆきさんからは、バイオマスのメリット、およびバイオマスを使ったボイラーなどの支援状況について説明がありました。
日本のバイオマス利用はうまくいっていない面もあるが、熱利用として考えれば効率的で、合理的だと泊さんはいいます。森林利用、林業振興の要素のひとつであり、薪ストーブ、ペレットストーブ、バイオマスボイラーといった熱利用は、バイオマス発電に比べ、小規模でも高い利用効率と経済性があるものの、ストーブなどの機器が比較的高いため、普及のネックになっているそうです。
さらに、バイオマスはただ設備を設置して終わりではなく、燃料であるバイオマス(薪やペレット)を必要とするため、燃料を作るために継続的な雇用が生まれることになります。被災地の被災材や地域の木材は、その場にある資源ですから、製油所の被災や道路の被害で外部から燃料が運べない状況であっても、問題なく使うことができます。
泊さんは、BINの支援活動の一例として避難所に設置した「お風呂」を紹介しました。要請に応える形で、7月、岩手県大槌町の小学校に薪ボイラー、生簀を使った浴槽、更衣室用のテントを設置。薪には被災材を使ったとのこと。被災者の方々は、3週間ぶりのお風呂に大変喜ばれたそうです。
お風呂の設置当初は関係者やボランティアが運営していたものの、徐々に被災者の方々が自ら運営するようになりました。また、被災材をカットして作った薪を「復活の薪」として通販で売り出したところ、現在は生産が追いつかないほどの状況になっているということでした。薪作りは、被災した方々の貴重な現金収入になったそうです。
被災材の撤去が進む現在、被災者の方々が立ち上げたNPO、吉里吉里国は、他のNPOとの協力のもと、被災地の人工林から木材を伐り出して用材やバイオマスにするための研修会を毎月開催しており、こちらも好評を得ていると説明されました。現在、BINに薪ストーブやペレットストーブ設置の要望が届いているにも関わらず、やはり資金の問題から、全ての要望に応えるのが難しい現状だということです。泊さんは、バイオマスは無理のない規模で使えば、持続可能なエネルギーになるとし、改めて活動への支援を訴えられました。
支援を受けた被災者の立場から
最後に、宮城県漁協志津川支所運営委員で、宮城県南三陸町戸倉地区にお住まいの後藤清広さんが、つながり・ぬくもりプロジェクトで太陽光発電の支援を受けた立場から、経験と想いをお話しされました。
大地震が起きた直後、必ず津波が来るだろうと直感したという後藤さん。しかし、自宅は高台にあったため、大丈夫だと考えていたそうです。しかし、奥様と電話で話している最中に電話が途切れ、心配になり急いで自宅に戻ろうとしたものの、行く手を渋滞やさらに大量の瓦礫に阻まれ、どうしても自宅にたどり着けませんでした。家族の安否もわからないまま、一夜を過ごしたそうです。
幸い、ご家族は皆、間一髪で難を逃れ無事に再会できましたが、一方で娘さんが通う中学校の屋根の上に車が乗り上げているのを見たときには、もう駄目だと思ったそうです。後藤さんは、津波で壊滅的になってしまった町の様子を、現実として受け止めるのに数ヶ月かかったといいます。
南三陸町では、地震から津波が来るまで30~40分はあったにも関わらず、皆、津波が見えてきてから逃げたために、多数の方が巻き込まれてしまったとのこと。
これまでにも、インドネシアのスマトラ島など、世界では大きな地震や津波の被害が起きていることを、報道で見て知っていたのに、どこか他人ごとだと思っていた、どんな津波が来ても、防波堤があるから守ってくれると安心していた、と後藤さん。災害は必ず、どこでも起きると今は思っている、と言葉に力を込めました。
震災後、後藤さんの最大の心配は、中学生の娘さんの生活でした。年頃の女の子を、電気も何もない場所で暮らさせるわけにはいかないと、娘さんだけでも避難させようとしたものの、本人の意思で南三陸町に留まったそうです。しかし、夜中、電気もない暗闇の中でも余震は何度も起こります。夜の間は恐怖で眠れず、トイレにすら行けず、夜明け、薄明かりが差し始めてようやく眠ることができる、という状況がしばらく続いていました。
そんな中で太陽光発電をつけてもらい、本当にありがたかった、と後藤さん。
「これでトイレに行ける」と娘さんも喜んだそうです。それまでにも、ディーゼルによる照明が使えたものの、車のエンジンをかけなければならないため、ずっとつけておけないし、音もうるさかったそうです。
その点、太陽光発電は静かで、みんなでテレビを見ることだってでき、これまで大量の電気を使って暮らしてきたけれど、少しの電気があれば皆で生活できると実感したといいます。
後藤さんは、震災後の生活は不便で大変だが、こうした形で色々な人が支援してくれたし、今は不幸ではないと思っているそうです。仕事の拠点である漁協も全て流され、どうやって立ち直ればいいかわからない状況だったものの、漁協にも太陽光発電を支援してもらうことになり、復興への希望が見えてきたとのこと。
今、後藤さんは、震災で全て失った経験から、過剰な投資や過剰な施設による大量生産、大量消費の漁業のあり方を反省し、違った形での持続可能な再生をしてゆこうというプランを、漁協戸倉出張所の皆さんと考えられているそうです。
51歳、自分はまだ若い。新しい戸倉の漁業をこれから作ってゆきたい、という後藤さんの言葉に、会場は深く聞き入っていました。
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企業説明会の映像と説明資料(PDF)をご覧いただけます。