シリーズ:クマの保護管理を考える(3) 宮城・蔵王での「クマのための畑」づくり
2011/11/16
宮城蔵王町で生まれ育ち、狩猟歴は40年を超えるというハンターの佐藤善幸さん。蔵王山麓で10年以上もツキノワグマのユニークな保護活動を続けています。それはなんと「クマのための畑」づくり。休耕田を借り受け、そこで飼料用トウモロコシを栽培し、それをクマに食べてもらうことで、他の畑の被害を軽減させようという取り組みです。今回は、その取り組みを中心的になって進めてきた佐藤さんにお話を伺いました。そこには、ハンターがクマの保全に取り組むようになった、意外な歴史が隠されていました。
畑にクマがやってくる
ツキノワグマは必ず夜にコッソリとやってくるといいます。佐藤さんは、飼料用トウモロコシ(デントコーン)が実り始めてからクマに食べつくされるまでの8月から9月、ほぼ毎晩パトロールにでかけます。ピックアップトラックに乗って、サーチライトを照らしてクマの姿を確認するのです。
「クマもね、この車のことをすっかり覚えてるみたいで、今ではあまり逃げないよ。クマがいたら、ライトに照らされた目が光るから。よーく見てて。たまに車の前を横切ったりもするから。」
佐藤さんたちが、宮城蔵王の山麓に「クマのため畑」作りをはじめたのは1997年のこと。毎年だいたい4~6頭のクマがその恩恵にあずかっているそうです。畑を作り始めたその夏から、クマは畑やってきました。そして2011年もやってきています。
8月の末、1ヘクタールある畑の大部分のデントコーンは、すでにクマの胃袋の中に納まっていました。ですがまだ、畑にはクマが姿を見せていました。佐藤さんが、デントコーンが実る時期を少しずつずらすように栽培しているため、まだ一部の畑には残っており、そこにクマがきているのです。
現在は、畑の中、そして山際や川岸の雑木林から畑に通じるけもの道に、赤外線カメラを設置して、畑にやってくるクマの確認をしています。
「う~ん、いないみたいだねぇ。ほぼ毎日来てっから、今日はもう食べて帰っちゃったのかな? あるいは、隠れてるのかな?クマにも色々な性格のやつがいるから。車が来ても堂々と食べ続けてるやつもいれば、隠れるやつもいるの。」
「ホント、クマは体が柔らかいんだね。ゴムみたいにビョーンと伸びて地面にピタッと張り付いて隠れるんだよ。オレも最初はわからなかったけど、今ではすっかりお見通し。」
そんな話をしているとき、畑の奥で何かがチラリと光りました。サーチライトの灯りに反射したクマの目です。
「見た?目が光ったでしょ?地上から1メートル位のところで光ったから、立ち上がってこちらの様子をうかがってたんだな。立ち上がって1メートルっていったらかなり大きいクマだよ。」
残念ながら、その晩クマを確認できたのは一回だけでした。このクマは警戒心が強いのかもしれません。人の気配を嫌がったのか、食事を中断して、河畔林(かはんりん)の中に逃げ込んでしまったようです。
夜のサーチライトに照らされたクマのための畑は、昼間に見るより陰影がはっきりして、クマがデントコーンを倒した跡がより鮮明に見えました。
クマによるデントコーンと酪農への被害
宮城県をはじめとする東北各県は、ツキノワグマの主要な生息地です。個体数が極端に少なくなってしまった四国や紀伊半島などと異なり、クマの生息数も多く、農作物への害も多いばかりか、狩猟もまた多く行なわれています。
宮城県のなかでも、蔵王山麓は酪農が盛んな地域です。肉牛を飼育している農家もあります。その酪農家や農家が育てているのが、デントコーンとよばれる飼料用のトウモロコシ。そのデントコーンが、農作物の中で一番多くツキノワグマの被害を受けています。
通常、デントコーンは食用のスイートコーンよりも草丈が高く、密に生えます。クマは畑の外側だけを残し、内側からどんどんデントコーンを食べていくそうです。つまり畑の外から一見する限りでは、クマの被害がわからないのです。クマも安心して食べることができるのでしょう。お腹一杯デントコーンを食べたクマが、畑の真ん中でゴロンと昼寝をしていた、などという話もあるくらいです。
また、クマがかじったデントコーンを収穫してサイロ(飼料の貯蔵庫)に入れてしまうと、そこからカビが生えて飼料の質が落ちることがあるそうです。そんな飼料を乳牛に食べさせると、乳質にまで影響するとのこと。
原乳の買取価格は、その日の乳質で決まるため、乳質が落ちると、その原乳を買い取ってもらえない、あるいは価格が下がってしまうことにもなり、酪農業にとって大きな痛手です。
また、酪農は、毎日朝早くから働き、一日も休むことができない大変な仕事。農業と同じように、高齢化や後継者不足の問題を抱え、なおかつ牛乳(原乳)の価格低迷により非常に厳しい経営を強いられています。
宮城県内におけるクマによる農業被害の内訳
「飼料作物」とは主にデントコーンのことで、その被害の割合が多いことがわかる。
年によって差異があるが、果樹の被害もまた多い。 2006年は宮城県でクマが大量出没した年に当たる。
クマに対する地域住民の感情
デントコーン以外の農作物についても、クマによる被害が出ています。
年によってばらつきがありますが、宮城県全体でクマによる農業被害額は、鳥獣による農業被害額全体の1~4割程度で推移しています。
クマによる被害でデントコーンに次いで多いのが果樹で、蔵王山麓ではとりわけ、クマはモモを好物としているとのことでした。
実際、農家の方に話をお聞きしてみたところ、「そんなことを聞いて面白いのか!」と、話題にすることにさえ強い拒否感を示す方がおられた一方、こんなお話を聞かせてくれた方もいらっしゃいました。
この方は、果樹栽培をしている農家の方でした。
クマは果樹園の果実を食べるとき、果樹の枝を折ってしまうことが多いそうです。一度折られた枝が再生し、再び果実をつけるまでには、数年間を要します。
その農家は、クマに多少果実を食べるくらいだったら目くじら立てることはないが、大きな枝を折られると堪らない、と話してくれました。そして、被害を及ぼすのはクマだけでなく、イノシシやカラスもいるし、むしろそちらのほうが深刻だ、とも教えてくれました。イノシシも、ここ十年ほどで被害が急速に広がっています。
すべての農業被害者がクマを蛇蝎(だかつ)のように嫌っているというわけではないようです。が、東北地方の一角である蔵王の山麓でも、地元の農家にとって、クマは厄介者であるという印象は確かにあるようでした。
宮城県内で鳥獣による農作物被害のうち、
クマによる被害が占める割合の推移
年によってばらつきがあるが、1~4割前後で推移している。
全国的には、クマが占める割合は1割にも満たないので、この地域におけるクマ被害の割合は高いといえる。
中山間地域の社会問題を物語るクマの害
こうした農業などへの被害の背景には、日本の山村をめぐる社会的な変化があるといいます。
中山間地域での耕作放棄の問題が深刻化しているのです。
蔵王山麓の周辺でも、至ることころに耕作放棄地が認められました。畑もそうですが、水田も管理が行き届かなくなっています。それを助長した一つの原因が、国による減反政策だと佐藤さんは主張します。
「オレが思うにね。クマは本来は里山の動物なんだよ。だって里山のほうが、クマにとっておいしい食物がたくさんあるし、それを苦労しないで手に入れられるんだもん。そりゃあ、クマも楽な方がいいに決まってるよ。」と佐藤さんは言います。
「でもさ、中山間地域に人間がいたときには、そこで田んぼや畑を耕し、里山を利用したわけでしょ。
だから、クマは人間に追い出されて、しょうがなく奥山に引っ込んでたと思うの。つまり人間がクマを奥山に押し込めてたわけね。」
「今は中山間地域に人がいなくなったでしょ。ここら辺でもそうだけど...減反政策の影響なんかもあって、すっかり田んぼなんか放ったらかしで荒れ放題。だからさ、クマは楽して食物が手に入る里山に戻ってきたわけ。わかる?」
また、放棄された水田には、すぐに雑草がはびこり、数年すると樹木が生育します。
クワなどは荒地にいち早く育つ樹種です。蔵王山麓の中山間地域でも、クワが川沿いに繁茂し、クマの好物のクワの果実が実ります。そんな川沿いの河畔林(かはんりん)を伝ってクマが里に下りてくることもよくあるそうです。
中山間地域の問題
中山間地域とは、平野の外縁部から山間地を指します。 山地の多い日本では、このような中山間地域が国土面積の65%を占めています。
また、耕地面積の43%、総農家数の43%、農業産出額の39%、農業集落数の52%を占めるなど、我が国農業の中で重要な位置を占めています。
中山間地域は、「農業生産、自然環境保全、保健休養、景観など」さまざまな面において重要な地域です。
しかし、耕作に不利な条件から農業生産性が低く、農業所得・農外所得ともに低い状態となっています。
また、農村地域は全国平均よりも高齢化が進んでいますが、特に中山間地域等は高齢化が進行しています
このような耕作条件の悪さ、高齢化の進行に加えて、「担い手の不足、恵まれない就業機会、生活環境整備の遅れなど」により、中山間地域等の農地では耕作放棄が深刻化しています。
農林水産省のウェブサイトより
「クマのための畑」の誕生
中山間地域が抱える人口減少、高齢化、農業の生産性などの問題によって耕作放棄地が増え、その結果クマが人里に出没し、デントコーンや果樹を食害する...
そこで、佐藤さんは考えました。山際や川沿いにある休耕田にデントコーンを栽培して、そこを「クマのための畑」として、クマに開放し、お腹一杯デントコーンを食べてもらったらどうだろうか?クマは「クマのための畑」で満足し、それ以上他の畑を荒らさないのではないか?と。
畑の周りを電気柵で囲うなどの方法もありますが、その設置には費用と労力を必要とします。そして下草が伸びて電線に接触すると、漏電がおきて電圧が下がるため、常に下草を刈る必要があります。さらに一部の畑だけに設置しても、被害が他の畑に移ることがあります。
電気柵の設置は、効果の高い防除法であることは実証されていますが、農家にとっては、それらの費用と労力が負担となる場合も多く、なかなかモチベーションがあがりません。特に高齢化が進んだ中山間地域では難しい課題です。
それならば、山際のすでにクマが出没している場所に、クマのためのデントコーン畑をつくれば、そこでクマを足止めできるのではないか? デントコーンならすでにその味をクマが知っているわけですから、新たにクマをおびき寄せることにはならいだろうと考えたのです。
そこで佐藤さんは仙台を中心にクマの保護活動をする団体と一緒に、1997年、佐藤さんが所有する蔵王山麓の休耕田で、クマのためのデントコーン畑を作り始めました。それ以来、場所を少しずつ移しながらも、14年間に渡りクマのための畑を作り続けています。
およそ1ヘクタールの「クマのための畑」にやってくるクマの数は、年に4~6頭程度です。数字としては、小さなものかもしれませんが、14年間コツコツと活動を積み上げてきたことで、周囲の理解が変わってきたと佐藤さんは言います。
メディアにも度々取り上げられ、地域住民にも次第に「クマのための畑」が知られるようになりました。蔵王山麓は別荘地で、都市部から来た別荘の購入者にはクマの存在を知らない人が少なからずいるそうですが、そのような人には、まずクマが身近にいることを知ってもらうことが重要です。
そして、そしてクマを不用意に引き寄せないために、ゴミの処理を適切に行なうなど、人間が気をつけることでクマとの軋轢(あつれき)を減らすことが必要となります。佐藤さんたちは、別荘地にチラシを配り、ゴミの適切な処理などを訴えかける活動も実施しました。