有明海、渡り鳥たちの干潟を「世界の保護湿地」に!鹿島市15年の軌跡
2015/12/05
2015年11月14日、佐賀県鹿島市で「ラムサール条約登録記念式典」が開かれました。これは、鹿島市の行政と市民の努力により地元の肥前鹿島干潟が、国際的な保護湿地として「ラムサール条約」に登録されたことを記念し、行なわれたものです。この保全に向けた活動を支援した経緯のあるWWFジャパンは、ここで同市の皆さんの長年にわたる渡り鳥と、干潟の保全に対する貢献を称え、樋口久俊鹿島市長に対し感謝状を贈りました。15年にわたる鹿島市の取り組みの軌跡をお伝えします。
肥前鹿島干潟が「ラムサール条約」の登録地に
2015年6月に南米のウルグアイで、第12回ラムサール条約締約国会議(COP12)が開催されました。
この条約は正式名称を「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といい、1971年に制定され、1975年に発効しました。
条約が制定されたイランの町ラムサールの地名にちなんで「ラムサール条約」と呼ばれています。
当初は開発と汚染で深刻な危機にさらされている水鳥とその生息地を保全するための条約でしたが、その後、対象とする景観の範囲が拡大されました。
現在ではサンゴ礁や水田などをふくめたさまざまな湿地(ウェットランド)と、そこに生きる多様な生物を対象とするようになっています。
また条約では、各国で保全されているこうした湿地を登録し、世界的に貴重な自然環境であることを明らかにするとともに、その自然に配慮した持続可能な利用を推進しています。
2015年の会議では、この条約登録地に、日本から新たに4カ所の湿地が加わり、1カ所の指定区域が拡大されました。
その4カ所の一つが、九州・有明海の海、佐賀県鹿島市の肥前鹿島干潟です。
漁業などの生業を維持しつつ、大規模な開発行為からは原則的に守られる形で、今後の保全が推進されてゆくことになりました。
「渡り鳥の国際空港」を守る!鹿島市の決断
佐賀県鹿島市をモデル地域として、WWFが有明海保全プロジェクトを立ち上げたのは2001年。
当時、有明海の広域にわたってかつて無い規模のノリの色落ち被害が発生する「有明海異変」が起こり、長崎県の諫早湾干拓事業(潮受け堤防の閉め切り)との因果関係が大きな問題とされていた時期でした。
「宝の海」と呼ばれてきた有明海の自然が危機に瀕している。そんな実感を漁業者のみならず多くの方が持ち始めた中、WWFは鹿島市との協力のもと、渡り鳥の飛来地として、国際的にも重要な鹿島の干潟を地域主体で保全する取り組みを始めたのです。
この頃、鹿島の干潟では、閉め切られた諫早湾干潟から移ってきたと思われる、シギ、チドリといった渡り鳥の数が増えていました。
桑原允彦鹿島市長(当時)は、その現状を踏まえ、次のように言われました。
「鹿島のガタ(干潟)は渡り鳥にとって国際空港で、鹿島で十分な栄養補給ができなければ目的地(シベリアやオーストラリア)にたどり着くことができない」
そして同市は、「東アジア・オーストラリア地域シギ・チドリ類重要生息地ネットワーク」への参加を決断。
渡り鳥たちを守り、「宝の海」を守るため、大きな一歩を踏み出したのです。
国際ネットワークへの参加
翌2002年、鹿島市は「東アジア・オーストラリア地域シギ・チドリ類重要生息地ネットワーク」(略称:シギ・チドリネットワーク。現在名:フライウェイサイトネットワーク)の参加地となりました。
日本では5番目、有明海では初のシギ・チドリネットワーク参加地の誕生です。
このネットワークは、シベリアから東南アジア、オーストラリアを、南北に渡るシギやチドリが飛来する干潟などの湿地を地元に持つ地域が、国境を越えてつながり、共にその保全をめざすものです。
このネットワークが持つ特徴の一つは、国や地方自治体が法律で指定した「保護区」でなくても参加地になれることです。
そのため参加地となっても、保全が確約されるわけではなく、開発などによる脅威にさらされる可能性がのこります。
しかし一方で、保護区になると漁業が出来なくなるのではないか?といった地域の不安や疑問を軽減し、徐々に意識を高めながら、地域にあった保全の在り方を模索することが可能です。
実際、鹿島市では、住民ならびに自治体関係者がネットワーク参加をきっかけとして、その重要性や役割に気付き、自主的な活動を促進させることを意図した取り組みを推進。
「渡り鳥たちに居心地の良い民宿を提供していくため、市民全員で努力していきたい」
桑原市長がシギ・チドリネットワークへの参加記念式典で述べたこの言葉を、まさに実現させる取り組みが始まったのです。
市民の手で干潟の保全を!「水の会」の発足
シギ・チドリネットワークの国際的なパートナーであり、日本ではそのコーディネーターを2011年まで勤めたWWFも、鹿島市の環境NPOや小学校をはじめ、地域活性化に取り組む「フォーラム鹿島」、商工会、ガタリンピック実行委員会など協力しながら、干潟を活かした街づくり、人づくり活動に着手しました。
そして2004年、フォーラム鹿島などのメンバーが中心となった市民グループ「多良岳~有明海・水環境保護団体 水の会」が結成されました。
これは、多良岳の水源から有明海へと続く「水の巡り」を通じて、鹿島の環境と暮らしを考える市民の集まりで、その後、地元での取り組みの中核を担う団体として、活動を活発化させてゆきます。
「水の会」による代表的な活動例として挙げられるのは、WWFジャパンと共同で行なった、「ふるさとの海作品コンクール」や「白保子ども交流会」、そして全国的に知られる鹿島の干潟イベント「ガタリンピック」での環境ブース出展など。
いずれも、地域に根ざした活動を通じて、鹿島の干潟や渡り鳥、また自然と人の暮らしとの関わりを学び、それを地域内外へ発信するものです。
「水の会」は、2011年にWWFの有明海保全プロジェクトが終了した後も、活動を継続。
有明海を守りたいと思う地域内外のさまざまな個人、団体等がそれぞれの分野で10年以上にわたり、段階的に干潟の保全に対する住民や関係者の理解を深め、取り組みを充実させてきました。
ついに実現した「ラムサール条約」への登録
鹿島の方々の「命の海・有明海を守っていきたい」という意志のもと、さまざまな困難を乗り越えながら続けられてきた活動は、確かな進展につながりました。
シギ・チドリネットワークに参加した当時、まだ猟区だった肥前鹿島干潟は、2003年、佐賀県指定の鳥獣保護区に指定。
2015年5月1日には、同じく有明海に面した佐賀県の東よか(大授搦)干潟と共に、国指定鳥獣保護区特別保護地区に指定されたのです。
そして日本政府は、この国指定鳥獣保護区への指定と期を同じくして、肥前鹿島干潟を「ラムサール条約」の登録湿地にする意思を明らかにしました。
その登録の実現は、鹿島の干潟が国際的に重要な保護湿地であることを示す証であると共に、市や地域の人々、「水の会」のメンバーの方々が、長年の保全活動の目標の一つとして、目指し続けてきたものでもありました。
鹿島市が手にしたこの大きな成果は、1990年代のはじめから諫早湾、そして有明海の保全を求め、活動を続けてきたWWFにとっても非常に感慨深いものとなりました。
そして同時に、自然保護には非常に長い期間と、地域の参加を得た段階的な取り組みが重要であることを改めて学ぶ、とても貴重な機会となったのです。
鹿島15年の道のりと「宝の海」の今後
2015年6月、南米のウルグアイで開かれた第12回ラムサール条約締約国会議(COP12)において、肥前鹿島干潟は、東よか干潟と共に、正式に条約登録湿地として認められました。
これを受けて、11月14日、佐賀県鹿島市では「ラムサール条約登録記念式典」が開かれ、WWFジャパンも参加。
同市の皆さんの長年にわたる渡り鳥と、干潟の保全に対する貢献を称え、事務局長筒井隆司より、樋口久俊鹿島市長に対し感謝状を贈呈いたしました。
贈呈にあたり祝辞を述べた筒井は、地域の方々の長年の活動に深い敬意を表すともに、これからがまさにスタートであること、そして、鹿島の取り組みを世界的に発信する機会になることを述べ、エールを送りました。
ラムサール条約への登録は、必ずしも永久的な保全を約束するものではありません。
真に、渡り鳥と、宝の海である有明海を未来に向けて守っていくためには、これからも新しいさまざまな課題に挑戦してゆくことが必要とされるのです。
2015年に登録された、肥前鹿島干潟と東よか干潟、そして2012年に登録された荒尾海岸(熊本県荒尾市)と合わせ、有明海のラムサール登録地は3カ所となりました。
しかし、これらの登録地の重要性が注目されたのは、国内最大のシギ・チドリ類の渡来地であった諫早湾干潟が、干拓事業により消滅したことに端を発していることも、忘れてはなりません。
いまだに危機が指摘され、海苔の不作が報じられる「宝の海」有明海。
多くの生きものたちで賑わったその豊かさを取り戻すチャレンジは、今、これから始まろうとしています。