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目撃者の証言:ガンの「渡り」が変わってゆく
日本(宮城県):呉地正行さん
秋になると、日本の水辺を訪れる大型の水鳥、マガン。「日本雁を保護する会」の呉地正行さんは大学時代、このガンに魅せられ、以来40年にわたりマガンの観察を続けてきました。日本最大の飛来地、宮城県は伊豆沼のほとりに暮らし、その姿を見つめてきた呉地さんが指摘するのは、伊豆沼周辺に渡ってくるマガンの数が年々増加傾向にあること。そして、越冬の期間が次第に短くなっていることです。温暖化が、マガンの生態に大きな影響を及ぼしているのではないか、と呉地さんは懸念しています。
渡り鳥の楽園からの証言
私の名前は呉地正行といいます。私が、宮城県に住むようなってまもなく40年になります。学習塾を経営する傍ら、伊豆沼など宮城県北部で冬を過ごすマガンを観察してきました。 伊豆沼はラムサール条約の登録地に指定されている自然豊かな湿地帯で、多くのマガンが越冬します。ただ、1990年以降、マガンの数が急激に増え、一極集中するという問題がおきています。 また、マガンたちの行動パターンにもさまざまな変化が出てきています。このまま温暖化が進めば、いずれマガンの繁殖地が失われるのではないかと心配しています。
環境の変化に敏感なマガン
私が生まれ育ったのは神奈川県の平塚で、そこではマガンという鳥を見たことがありませんでした。仙台の大学に入り、地図を片手に宮城県の伊豆沼にやってきたのが、マガンに出会ったきっかけです。
最初にマガンを見たのは冬の田んぼでした。
1000羽ぐらいの群れが、落ち穂を食べていました。私が一歩近づくと、マガンの群れはいっせいに首を立てて警戒し、もう一歩近づくと、全群が飛び立ち、空を埋め尽くしました。私は、あれほど大きな鳥が、たくさん野生で生きていることに、とても驚きました。そしてすっかり、野性味あふれるその迫力のとりこになってしまったのです。
マガンは警戒心が強く、環境の変化にもとても敏感な鳥です。
豊かな自然環境がないと生きていけないため、居心地が悪くなるとその場からいなくなり、二度とそこには戻ってきません。
かつては日本全国どこにでもいた鳥ですが、戦後は開発の影響を受けて、生息できる地域はどんどん減っています。逆に言えば、マガンの行動を見れば、今、環境にどんな問題が起きているのか分かる、そんな鳥だと思います。
飛来の時期が変化している
水鳥であるマガンは、夜を過ごす沼が、雪や氷で完全に覆われると生きることが出来ません。北極圏に近い繁殖地の夏は短く、8月下旬になると雪が降ります。そこで、マガンたちはこの季節になると、凍っていない南の国に移動していきます。
ペクルニイ湖沼群(ロシア)を出発したマガンたちが、カムチャッカ半島、北海道、秋田県と南下し、最終的な越冬地である伊豆沼まで、飛行する距離は4,000km。マガンの群れが伊豆沼周辺に到着し、その数が増え始めるのは、10月になってからです。
ところが近年、伊豆沼周辺に到着するタイミングが徐々に遅くなっています。また、マガンたちは春が近づく2月~3月になると伊豆沼周辺から北に帰っていきますが、この時期は逆に早まっています。つまり、伊豆沼周辺で越冬する期間が短くなっているのです。
さらに、「中継地」の「越冬地化」という現象も起こっています。
秋田県の小友沼は、かつては伊豆沼にやってくるマガンが渡りの途中で立ち寄る、「中継地」に過ぎませんでした。しかし今では、それ以上、南の地域に渡らずに、そのままこの地で「越冬」するマガンが見られるようになりました。
マガンが生活できる場所は、真冬の平均気温が0度より暖かい必要があります。平均気温が0度以下になると、沼の水が一日中凍ってしまうからです。
かつて小友沼は、真冬の平均気温が0度を下回っていましたが、データを見ると、近年、平均気温が0度を上回るようになっています。
雪も少なくなり、沼も凍らなくなったため、このことがマガンの行動を大きく変えてしまったのです。
秋と春しか現れなかったマガンが、冬の間も棲み続ける… そんな現象が、秋田だけでなく、北海道などでも起きています。
一カ所に集中するマガン
私がはじめてマガンに出会った当時、伊豆沼周辺のガンの数は、5,000羽程度でした。
日本では1971年に、マガンを天然記念物に指定するとともに、狩猟を禁止し、保護に転じました。それ以来、徐々にその数は増加しています。1990年以降には、急激に増え、2010年は伊豆沼や蕪栗沼など、宮城県北部で10万羽以上のガンが越冬しています。
この爆発的な数の増え方は、保護の結果、というレベルを超えていると感じています。その理由の一つに、繁殖地での温暖化の影響があるのではないかと思っています。
マガンが繁殖し、巣作りをするのは北極圏に近いツンドラです。繁殖地は、川とか沼が入り組んだ湿地で、マガンは地面に巣を作ります。
温暖化の影響で、春先の雪どけが早ければ、マガンはよりたくさんの巣を作ることができ、たくさんヒナが生まれます。
またマガンは草食なので、雪解けが早くなれば、食べ物となる草の生育量も増え、ヒナの生育を助けることになります。
このように、気温の上昇によって繁殖数が増え、結果的に伊豆沼周辺に渡ってくるマガンの数が増えているのではないでしょうか。
ところが今、マガンの数が急増していることで困った問題が起きています。
一つは鳥自身の問題です。個体数の増加にも拘らず、越冬できる場所が限られているため、マガンはわずかな棲みかに一極集中しています。
伊豆沼や蕪栗沼など、鳥が集中している沼で、もし水の汚染が発生すれば、マガンの群れは、一夜で全滅してしまいます。また、密集している鳥の間に、ひとたびや感染症が発生すれば、やはり大きなリスクとなります。
もう一つの問題は、人間との関係です。
マガンたちは、昼間は田んぼなどの耕地で食物を食べます。しかし、あまりに多くの鳥が一カ所に集まると、農業被害が大きな問題になりかねません。
宮城県北部の幾つかの市では、ガン、カモ、ハクチョウによる稲への農業被害を補償する条例が整備されていますが、それでも鳥が集まりすぎれば、人間との共生が難しくなっています。
そんな中、マガンとの共生とその分散化を目指して、稲刈り後の田んぼに水を張って、沼のような環境を作る「ふゆみずたんぼ」という取組が、蕪栗沼周辺の農家の協力を得て進められています。マガンが棲める水田こそが、生物の多様性の豊かな、価値あるものだという意識が、地元で芽生え、広がりつつあります。
マガンの危機は環境の危機を教えてくれる
現在起きている地球温暖化の影響は、「マガンの数が増えている」という点から見ると、一見、良いことのように見えます。
しかし、日本に渡ってくるマガンの繁殖地(ツンドラ)は、温暖化の影響を特に強く受けると予測されています。このまま温暖化が進めば、ツンドラはやがて森になると言われているからです(*ツンドラの永久凍土が解け、樹木が根を張れるようになるため)。
そうなれば、マガンたちは繁殖できる環境を失い、結果的に、マガンの群れが激減したり、地域からいなくなってしまう可能性があります。
マガンたちの将来を守るためにも、今、進行している温暖化は、出来るだけ早く食い止めることが重要だと思います。
「雁(ガン)」という漢字は、「ひとつの家(厂)」の中に「人(イ)」と「鳥(隹)」が一緒にいる様子を表しています。
家族を大切にする雁は、人間にとって親しみやすい鳥であり、人の暮らしに関わりの深い鳥であることを表しています。
温暖化の問題というのは、とても見えにくい問題ですが、環境に敏感なガンたちと共生することによって、この問題を感じ、理解していくことが大切だと思います。
温暖化の問題は、人間が作り出した問題です。
これは私たち一人ひとり自分の問題だと受け止めて、行動で示していくということが必要だと感じています。
WWFインターナショナル/ホームページ掲載日:2010年4月30日
Climate Witness: Masayuki Kurechi, Japan
科学的根拠
IPCC第4次評価報告書(AR4)第2作業部会報告書政策決定者向け要約 (2007)は、陸域と海洋の生態系が最近の温暖化によって強い影響を受けており、北半球では鳥の渡りや産卵のような春季現象の早期化、動植物の生息範囲の極方向・高標高方向への移動などが見られるとしています。90年代以降になって、伊豆沼周辺で越冬するマガンの行動に見られる、中継地の越冬地化や、春に越冬地から北に移動する時期の早まりは、このIPCCの記述に合致します。また、中継地の秋田県小友沼でマガンの越冬が見られることや(1)、2007年1月に暖冬でマガンが越冬地の宮城県北部から例年より早く北の小友沼へ移動したことが(2)、学術論文でも報告されています。
一方、伊豆沼周辺で越冬するマガンの90年以降の個体数急増が、ロシアの繁殖地での温暖化の影響(繁殖率の向上)によるのではないかとの点については、現時点では明らかではありません。しかし、1933年から2000年の東北ロシアの極地気象台での気温データは、繁殖地の気温が上昇傾向にあることを示しています(3)。IPCC AR4第2作業部会報告書第15章「極域15.2.1」(2007)には、北極地方の気温がこの数十年間に地球全体の約2倍の速度で上昇しているとあり、河と湖の氷結期間の減少、永久凍土の昇温、植生の変化(草から低木)などの知見が記述され、北極地方で温暖化の影響が既に起きていることを示しています。
呉地さんの証言にあるように、渡り鳥のマガンへの温暖化の影響を考えるときには、越冬地や中継地だけでなく、繁殖地での変化にも目を向ける必要があります。繁殖地、中継地、越冬地を行き来する渡り鳥にとって、そのすべての生息環境が大きく影響するからです。IPCC AR4(2007) 第2作業部会報告書第4章Box4.5には、気候変動が渡り鳥に及ぼす影響について、その繁殖地や越冬地、重要な中継地が影響を受けうるとし、モデルでは、将来、多くの種の生息範囲が変化すると予測しているとあります。例えば、地球の気温が2℃上昇すると、北極地方で繁殖する多くのシギ・チドリ類とカモ類などの水鳥の繁殖地が、最大で、それぞれ45%と50%減少するという予測(4)もあります。
IPCC AR4の北極地方の予測植生図(5)は、ロシアの繁殖地のツンドラが、2090年から2100年に、北方林に変わることを予測しており、将来的には温暖化によって繁殖地の破壊や消失が起こる可能性があるのです。現在は、日本で越冬数が急増しているマガンですが、今後も、マガンをはじめとする渡り鳥の様子や行動を見守ると同時に、温暖化の影響を最小限にすることが必要です。
(1)Shimada T., Hatakeyama S., Miyabayashi Y., and Kurechi M., 2005: Effects of climatic conditions on the northward expansion of the wintering range of the Greater-fronted Goose in Japan, Ornithological Science, 4, 155-159
(2)Shimada T, 2009: Current status and distribution of Greater White-fronted Goose in Japan, Short Communication, Ornithological Science, 8, 163-167
(3)日本雁を保護する会、平成14年度地球環境基金助成活動実績報告書「地球温暖化が渡り鳥のガン類に及ぼす影響調査」2003年
(4) Folkestad, T., M. New, J.O. Kaplan, J.C. Comiso, S. Watt-Cloutier, T. Fenge, P. Crowley and L.D. Rosentrater, 2005: Evidence and implications of dangerous climate change in the Arctic. Avoiding Dangerous Climate Change, H.J. Schellnhuber, W. Cramer, N. Nakicenovic, T.M.L. Wigley and G. Yohe, Eds., Cambridge University Press, Cambridge, 215-218.
(5)IPCC第4次評価報告書 第2作業部会報告書第15章「極域」640ページ、図15.3
*呉地さんの証言の詳細については『温暖化の生物多様性』(岩槻邦男・堂本暁子編、筑地書館刊、2008年)p131-148や『雁よ渡れ』(呉地正行、どうぶつ社刊、2006年)をご参照ください。
全ての記事は「温暖化の目撃者・科学的根拠諮問委員会」の科学者によって審査されています。
WWFインターナショナルのサイト
Climate Witness: Masayuki Kurechi, Japan
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公開日:2010/04/30
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