島根・匹見町でのクマ・プロジェクト、「住民参加」で電気柵のメンテナンス!
2015/06/26
「島根県のクマ聖地」と呼ばれるほど、ツキノワグマの生息密度が高く、クマと人間との距離が近い匹見町。ここでは、2000年から「広域電気柵」の設置が始まりました。クマと人間が「場所を使い分ける」この仕組み。シンプルですが、最も効果がある方法です。しかし、その現場にはまだまだ多くの課題があります。電気柵の設置から10年。設備の劣化も目立つようになり、クマもたびたび市街地に進入するようになりました。クマとの共存を実現する上で欠かせない、電気柵の維持・管理。住民自らの手で、その課題をいかにして克服するか?匹見町での取り組みが進んでいます。
集落をまるごと取り囲む「広域電気柵」の誕生
西中国山地の山々に囲まれた島根県の匹見町。この地域は、西中国山地の中でも、特にツキノワグマの生息密度が高い地域の一つと考えられています。
かつて、西中国のツキノワグマは、生息数を減らし、環境省のレッドリストでも「絶滅の恐れのある地域個体群」とされてきました。
しかし、1990年代からの保護政策により、生息数・生息域ともに回復傾向にあります。
その一方で、各地ではクマの生息地と人間の生活圏との距離が近くなり、さまざまな問題が起こるようになりました。
匹見町は島根県内でも、いち早く問題が表面化した地域で、クマの出没や被害が相次いで発生。そのため関係者は、匹見町を「島根県のクマ聖地」と呼ぶほどでした。
そこで、匹見町では、2000年になると、市街地の周りに電気柵を設置する取り組みを開始しました。 電気柵とはワイヤーに高圧の電気を通し、クマが触れると電気ショックを与えるもの。このことにより、クマに「この場所に来ると痛い思いをする」ということを学習させます。
流す電気は高電圧ですが低電流で、「静電気」のようなもの。ビリッとはしますが、クマが怪我や感電することはありません。
匹見町では2000年以降、この電気柵の設置距離が確実に伸ばされ、2008年には、ついに集落を取り囲む全長約14キロにわたる広域の電気柵が完成したのです。
電気柵の劣化と問題の発生
学習能力が高いとされるクマの能力を利用した電気柵は、クマの侵入や被害を防除する上で、非常に有効な防除手段です。
しかし、電気柵が効果を持続するためには、破損や故障がないかを確認し、電圧を一定に保つための維持・管理が重要になります。
最初の広域電気柵の設置から10年あまり。
今、匹見町では、設備の劣化が目立つようになってきました。
実際に、現地調査を行なって電圧を計ってみると、十分な電気が通っておらず、防除効果が維持されていないことが明らかになりました。
実際に、クマが出没したポイント(2004~2012年度)を地図上に落とす作業をしてみると、市街地の周囲に張り巡らせた電気柵の内側にも、多数のクマが出没していたことが判明。
そこで、匹見プロジェクト担当の島根県鳥獣対策専門員(クマ専門員)の金澤紀幸さんは、2012年に、全長14キロの電気柵をくまなく歩いて、点検作業を行ないました。
この地道な調査の結果、497ヵ所もの不具合を確認したのです。
最も多かった不具合は、ネット型電気柵の下部を押えるペグの破損と、ネットの破れでした。
中には、電気柵の上に倒木が倒れ掛かり、その上をクマが通った足跡が確認されたケースもありました。
電気柵が有効に機能するためには、常におよそ6,000ボルトの電圧が流れていることが必要です。
しかし、金澤さんの調査では、電気柵が比較的良い状態に保たれている区間でも、3,000ボルト程度の電圧しかなく、中には全く電気が流れていない区間もありました。
「電気柵は頼りになる」住民の意識
こうした現状の一方で、住民へのアンケート調査からは、地域の方々がクマなどの防除対策について、広域電気柵に頼っている実態が、浮かび上がりました。
「広域電気柵を頼りにしている」と答えた人は全体の52%。
そして「どちらかというと頼りになる」と答えた人は25%。
合計で77%もの人が、広域電気柵を少なからず頼りにしていることがわかったのです。
この背景には、広域電気柵の定期的な点検や補修が、各集落の自治に任されていることが、あると考えられました。
地域の方々にしてみれば、「定期的に点検補修作業をしているのだから、効果はあるはず」との思いがあるのは当然です。
しかし実際のところ、集落の間でも対応には差が生じており、かなり効果的な保守点検ができている集落もあれば、そうでない集落もあります。
いずれにせよこれは、設置から時間を経た現在、電気柵の状況と住民意識の間に、大きなギャップができていることを物語るものでした。
「地域が一体となってクマとのトラブルを軽減する」ことを目標にして立ち上げられたWWFと島根県のクマの共同プロジェクトでも、ここ匹見町で、広域電気柵を住民が自らの手で、いかに維持・管理していくかが、一つの大きな課題となりました。
ポイントとなるのは、広域電気柵を継続的に維持・管理できるようにすること。そして、そのため地域の住民の方々が、自主的かつ効果的に、その取り組み参画できるようにすることです。
そのためには、少しずつ理解を深めながら、時間をかけた取り組みを進めることが欠かせません。
住民を対象にした勉強会
そこで、WWFと島根県の共同プロジェクトでは、電気柵の現状と住民意識のギャップを埋めるところから活動を開始しました。
まず、ざまざまな機会を作って関連情報を提供し、住民の理解を得ながら、自発的な取り組みを促す、息の長いプロジェクト活動の始まりです。
そして、2014年の2~3月、匹見町内3地区の振興センター(公民館)で、それぞれ2回ずつ、合計6回の勉強会を実施しました。この勉強会は、住民が自ら積極的に、野生動物の生態や被害対策について、学んでもらうために企画されました。
重要なのは、何よりも「住民の目線に立ったものであること」。そのために、勉強会では4つ基礎講座が用意されました。
- 鳥獣害対策の基本: 対策のための心構えを基本的な知識を学ぶ
- クマとサルについて: ツキノワグマ、ニホンザルの生態と対策を学ぶ
- イノシシについて: イノシシの生態と防除・追い払いについて学ぶ
- 外来動物について: ヌートリアやアライグマの生態や捕獲方法を学ぶ
この項目を見ても分かるとおり、問題になっているのは、クマだけではありません。
勉強会では、対策に関心が寄せられている他の野生動物や課題についても、話し合える機会を設けました。
参加者は合計で約70名あまり。
意見交換も活発に行なわれ、適切な機会を提供すれば、住民は野生動物の生態やその被害対策について、情報や知識を貪欲に学んでいく素地があるとの手ごたえをつかむことができました。
いよいよ住民による電気柵の点検へ
このような地道な調査や住民への働きかけにより、少しずつ住民の関心が高まっていきました。
そして2015年4月、いよいよ地域住民の自主的な参加による「電気柵の点検作業」が行なわれることになりました。
参加したのは匹見上地区の元組集落の約10名(総世帯数31戸)の方々。
そして専門家として、島根県職員3名と鳥獣対策専門員(クマ専門員)5名、さらには益田市の専門員、電気柵メーカーの技術者が加わりました。クマ専門員は通常、県内各地域に散らばって活動していますが、この時は匹見に全員集合です。
この時の点検作業は、匹見町上地区の元組集落の自治会長から、電気柵の点検とメンテナンスの指導をしてほしいとの要請がかねてからあり、ようやく実施に至ったものでした。
また、匹見町でのプロジェクトを2年、3年と進めていく中、当初のアンケート調査だけでは拾いきれない住民の声を聞く機会が増え、現場のより複雑な状況がわかってきたことも、実施の背景となりました。
たとえば、現場の集落の住民の中からは、電気柵の効果を疑問視する人の声も聞くことができました。
「電気柵は維持管理している。だけどクマが入ってくるのは、柵の効果が薄れてきたのではないか?柵に慣れたクマがいるのかもしれない?」
そんな声にも後押しされ、点検作業が実施された匹見町は、県内外の専門家からみても高い関心を呼ぶ、特殊な地域となったのです。
専門家のアドバイスで、電気柵の改善へ
匹見町元組集落での点検作業は、まず電気柵の電圧を測ることから始まりました。
結果は1,500ボルト。どこかで漏電し、十分な電気が流れていないことが明らかになりました。
これでは、電気柵にクマが触れたとしても、十分なショックを与え「柵には二度と近寄りたくない」と思わせるだけの効果は期待できません。
そこで、電気柵が倒れている個所や、倒木が引っかかっている個所、ネットが破れている個所を修復。 さらに後日、匹見プロジェクトを担当する島根県益田事務所のスタッフ3名が、更なる点検と補修を行ない、補修で漏電が直らなかった個所や、堆積した土砂の撤去が不十分だった個所などを再補修しました。
こうした専門家の目の届きにくい場所では、住民が自己流で補修作業を進めてしまうことが多かったため、十分な修繕ができていなかったようです。
それでも、再補修による改善は3,000ボルト止まり。 クマの進入を阻止するレベルには、戻すことができませんでした。
そこで、専門家のメンバーたちは、根本の仕組みから見直すことにしました。
ポイントの一つとなったのは、給電の仕組みです。
元組集落の場合、電気柵に電気を供給する給電器を、近接の集落と共有しています。
つまり、給電器一つで、複数の集落の電気柵に電気を通しているので、どこかの区間で一つでも漏電があれば、全体の電圧が下がってしまうのです。
これは、特定の区間をいくら修繕しても、他の区間で漏電があれば、十分な電圧を得ることが非常に難しくなることを意味しています。
複数の集落で給電器を共有することは、管理上のメリットがある反面、トラブルが起きた場合には、それが裏目に出ることがあるわけです。
そこで、元組集落ではこれまで繋がっていた隣接集落との連結を解き、独自に給電を行ったところ、4,000~5,000ボルト(設置当初の8割程度)、つまりクマの侵入を防ぐレベルまで電圧が回復しました。
各集落で個別に管理しているだけでは、どうしても見落とされてしまう大事なポイントを、専門技術者の目で見極めることで、客観的な評価とアドバイスをすることが可能になり、改善へとつなげることができたのです。
匹見プロジェクト担当者の島根県益田事務所の職員、大谷さんはこうおっしゃります。
「住民の方々の、やり方は間違っていませんでした。ただ、基本の把握ができていなかったことが、電気柵が機能しない原因でした。
電気柵は急斜面に設置されていて、堆積する土砂のほとんどが、砂利という悪条件の場所です。 その中、住民の方々は、長い年月にわたり、本当によくメンテナンスを続けてこられたと思います。
皆さんの、自分たちの集落をきちんと管理しようという意志の強さは、他の地域でもあまり見られません。ですから、もっと早くから、私たち専門家がチェックできればよかったと痛感しました」
元組集落では今回の点検、補修作業と専門家からのアドバイスを教訓に、集落の予算で新しく給電器を用意し、電気柵の電気回路を独立させて維持・管理していくことになりました。
これは、確かな効果を持つツールである広域電気柵を、今後、適切に活用してゆくことにつなげる、大きな成果となりました。
そして、その成果をもたらした最大の要因は、「地域」の意志、集落の住民の皆さんの「やる気」でした。
その「やる気」は空回りしていましたが、専門家の知見と協力が得られたことで、解決の方法が明確になり、また一歩、取り組みが前に進むことになったのです。
匹見町は過疎化、少子高齢化が進んだとはいえ、まだまだ元気いっぱいの集落がたくさんあります。そこで生まれたクマと人との共存の形を模索してゆく上での好事例が今後、他の集落へ、さらに国内で同様の問題を抱えている地域へ、広がっていくことが期待されます。